文化 資料館だより(549号)

■中種子町の産業の一つだった大島紬
「大島紬(おおしまつむぎ)」は、主に奄美大島を中心に生産される絹の先染・手織りの紬織物で、奈良時代にはすでにその名が記録に登場したとも伝えられる、たいへん古い歴史をもつ伝統産業です。絹糸を泥染めしてから織り上げる独特の技法によって、深みのある黒や渋い色合い、緻密な絣(かすり)模様が生み出されます。その上品な風合いと軽やかな着心地で、多くの人々に長く愛されてきました。
昭和40年代(1965~1974年頃)には、全国的な需要の高まりを受けて生産が最盛期を迎え、年間で数十万反にも及ぶ大島紬が作られていたといわれます。
当時は、中種子町でも主婦を中心とした女性たちが機織りの工程を担い、家庭内での内職として紬を織っていました。仕組みとしては、まず奄美大島喜界島などの出身者が経営する機織り工場で数か月間技術を習得したのち、自宅に織機を持ち帰り、家事の合間に作業を続ける方法や、工場で仲間とともに機を織る方法がありました。中種子町のあちこちから機の音が響き、地域の産業を担っていたのは確かです。
現在では、手織りによる大島紬の生産は減少していますが、その高い技術と美しい意匠は、今も日本を代表する織物として受け継がれています。
町文化財保護審議員 住岡重寛