- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県那覇市
- 広報紙名 : 広報なは市民の友 2025年4月号
■首里巡検~石獅子と偉人の墓編~
◇御茶屋御殿石獅子(ウチャヤウドゥンいしじし)
御茶屋御殿石獅子は、火災の火伏(火返し(ヒーゲーシ))として作られました。昔、八重瀬岳(現八重瀬公園)は火難をもたらす山(ヒーザン)として恐れられていたため、御茶屋御殿の南側から八重瀬岳に向けて石獅子が据えられ、そうすると火事が起きなくなったそうです。元々置かれた場所に崖崩れの恐れが生じたため、現在の御茶屋御殿石獅子は崎山公園内に移設されています。御茶屋御殿は国王が遊覧され、外国の使臣を招いて宴などが開かれた王家の別荘で、東苑とも呼ばれ『南島風土記(なんとうふどき)』(東恩納寛惇・1950年)には、前川家家譜によると、1677年、伊舎堂親方守浄(いしゃどうウェーカタしゅじょう)が普請奉行(ふしんぶぎょう)となり、建設されたと記されています。〔首里崎山町1-77-1付近〕
◇儀間真常の墓(ぎましんじょうのはか)
儀間真常は1605年に野國總管(そうかん)が中国から持ち帰った芋の栽培や普及に貢献し、県民の命を支えました。また、砂糖の生産や製糖技術の普及にも貢献したことから実績が認められ、高い位であった「親方」になった人物です。儀間真常の墓は出身地である現在の山下町付近にありましたが、戦後その場所が那覇軍港となったため、現在の首里崎山町に移転されました。〔首里崎山町4丁目付近〕
○高校生’seye
御茶屋御殿石獅子について学び、特に火災やその他の火難から人や建物を守るための役割があることに深く感銘を受けました。単なる魔除けとしてではなく、火難という具体的な災厄から建物や人々を守るために設置された石獅子は、琉球の人々の知恵や願いが形になった存在だと感じました。
沖縄の産業に貢献した儀間真常は私にとって教科書の偉人に過ぎませんでしたが、首里巡検を通して彼の功績や墓所に供えられた花の存在を知り、彼も偉人である前に一人の人間だったのだと感じました。今まで私は記号的に偉人の名を覚えていただけで、彼らの事を本当の意味で知ろうとはしていなかったのかもしれません。今後は偉人の背景も理解したいと感じました。
連載を通じて、琉球文化や歴史の奥深さを実感しました。歴史は知識だけでなく、人々の願いや祈りの積み重ねであると気づき、今後も琉球の文化や歴史の背景に目を向けて学び続けたいと思います。
担当:首里高等学校