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(特集)種をまく人 新たな農業の担い手に向けて(2)

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佐賀県吉野ヶ里町

■50ヘクタールの大農家を夢見て
中島康太さん(35)

≪Profile≫
中島康太さん(35)
箱川下分地区在住。就農歴12年。佐賀市の非農家家庭に育つが、義理の祖父の農地を引き継ぎ、23歳の年に吉野ヶ里町で農業をスタート。22年には合同会社「K-ファーム吉野ヶ里」を立ち上げ、法人化を果たした。
経営作目:米・麦・大豆・アスパラガス・ブロッコリー

7月初旬。水を張ったばかりの田んぼは、大きな鏡のように、澄んだ空にたなびく雲を映し出していた。「ここから見える一帯は、ほとんどがうちの農地」と、農業法人「K-ファーム吉野ヶ里」を営む中島康太さん(35)=箱川下分=が教えてくれた。約30ヘクタールもの農地を耕し、アスパラガスやブロッコリーも手掛ける、町内きっての大農家。しかしその出発点は、わずか1ヘクタールの田んぼだった。

◇「大規模化」にかじを切る
妻・美恵さんの祖父が他界し、農地1ヘクタールを受け継いだのは23歳の時。それまではサラリーマンとして働き、非農家生まれで農業経験もない。子ども3人を養う親として、安定した収入も要る。いろいろな要素が頭をよぎる中、出した結論は「利益を得るために大規模化を目指す」。50ヘクタールの農地を目標に掲げて、農業の世界に飛び込んだ。

◇「やったしころ」の面白さ
まずは知識が必要と、近隣市の農業法人に就職。数年間、農業の基本を学んで独立し、真っ先に始めたのがアスパラガスの栽培だった。事前に先輩農家のもとで1年研修し、2年目に定植。一度定植すれば10年は植え替え要らずの作物だが、定植期間となる1年目は収穫できない。「研修、定植にかかった2年間は収入がなく、研修生向けの交付金をもらいながらしのぐ、苦しい生活だった」と振り返る。
しかしその後、苦しかった時間が実を結ぶ。1ヘクタールの農地の一部に建てた長さ80メートルのビニールハウス4棟は、「初心者には大き過ぎたか」と不安になる規模だったが、これが功を奏した。順調に収穫量を伸ばし、1年目で県アスパラ共進会の新人賞を獲得。アスパラガスの平均収穫量が10アール当たり3トンといわれる中、5トン穫(と)って同共進会の最優秀賞を飾った年もある。秘けつは「とにかく手入れを怠らないこと」。ハウスの温度管理や肥料を振るタイミング、こまめな除草など、丁寧な仕事を心掛けた。「やったしころ返ってくる」。中島さんは農業の面白さをそう話す。

◇広大な農地で味わう開放感
アスパラガス栽培と並行して、米・麦の農地も借り足しながら約30ヘクタールに。高齢者や跡継ぎ不在で困っている農家から農地を頼まれ、現在は約20人から借地している状態だという。「頼みたい人がいれば、『まだ全然よかけん』と受け入れている」と中島さん。2年前に法人化して実父、実兄を社員に迎えるとともに、大型農機も導入しながら、さらなる規模拡大を目指す。
広大な農地での作業は、「伸び伸びとした気持ちになる」という。「自然の中で作業していると開放感に包まれる。体を動かして汗もかき、『今日は1日働いた』という充実感がある」。朝は早いが炎天下となる昼間は稼働しないため、1日の就業時間は4~5時間程度。もちろん、失敗と無縁というわけにはいかないが、「ストレスはサラリーマン時代よりも本当に少ない」と話す。

◇農業を次代につなげるために
そうした良さもある一方、若手農家が今後増えていくには「農作物の価格を引き上げ、十分な価格転嫁ができるかが鍵」だという。物価上昇に伴って民間企業では値上げ、賃上げなどの動きが活発化しているが、「今の米や野菜の売値では、農家が負担する原材料費などのコスト増加分を補えていない」と嘆く。国民の日々の暮らしや食文化を担う農業を社会全体で支えるためにも、消費者の理解を呼び掛ける。
将来的には、3人の子どもたちのうち誰かが農業を継ぐことを願っているが、そこは我が子の気持ち次第。まだまだ興味を示さない様子に、「子ども目線では休みなく働いているように見えるのかも」と気をもむ。次代につなげるためにできることは、「農業の楽しさを伝えながら、事業継承しやすいようにしっかり稼げる形を整えるだけ」と、遠い未来を見据える。
取材を終え、中島さんの田んぼに目を向ける。植えて間もない稲の苗が、力強く大地に根を張り始めていた。

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