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唐ワンくんの唐津今昔物語145

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佐賀県唐津市

「唐津の記念物」(27)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
神集島鬼塚古墳群(かしわじまおにづかこふんぐん)(市指定史跡)

神集島の北部、神集島漁港とその対岸の湊地区を見渡せる見晴らしのよい斜面部には「鬼塚」と呼ばれる古墳が4基、20~30mの間隔で並んでいます。残念ながらいずれも破壊されていて、1号墳を除く3基は石室や石材などがわずかに残っているだけです。
4基の中で最も大きい1号墳は、ほかの3基と同様に大きく破損しているため、古墳の形や墳丘の大きさは分かりません。しかし、石室壁面や天井を造る巨石が露出した状態で残されていて、巨大な一枚石の天井石が倒れこみ、そこに椿が大きく繁茂(はんも)したために、石室内は盗掘などで荒らされることなく、良好な状態で残されています。その石室は、両袖型横穴式石室(りょうそでがたよこあなしきせきしつ)と呼ばれるもので、遺体を納める玄室(げんしつ)の長さは約2.0m、幅は約2.4mあります。
昭和46(1971)年には発掘調査が行われ、須恵器(すえき)や鉄刀(てっとう)、耳環(じか)ん、玉(ぎょく)などが出土しています。それらの遺物から、6世紀後半から7世紀初めに造られた古墳であると考えられています。
神集島は、古来から海上交通の要所として、重要な位置を占めていました。奈良時代に朝鮮半島に派遣された遣新羅使(けんしらぎし)は、怡土(いと)・志摩(しま)(現在の福岡県糸島市)から海路で柏島(かしわじま)(神集島)に渡り、ここで停泊してから壱岐・対馬を北上するルートで朝鮮半島へ向かっていたようです。神集島鬼塚古墳群から出土した豊富な出土遺物は、神集島が果たした重要な役割を今に伝えています。

問合せ:生涯学習文化財課
【電話】72-9171

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