■第9回 町内の世界遺産(2) 青岸渡寺
那智山青岸渡寺は熊野那智大社に隣接するかたちで存在しています。神社と寺院が並立しているかたちは、古くから見られた神仏習合のなごりを色濃く残している景観です。
那智山は5世紀前半ごろにインドの僧である裸形上人(らぎょうしょうにん)によってひらかれました。裸形上人が厳しい修行をかさねるうちに那智の滝で感得したとされる如意輪観音菩薩がご本尊となっています。
また、現在の本堂は天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって再建されたもので、国の重要文化財となっています。白木造りの壮大な姿は桃山建築の特徴を表現したものといえるでしょう。日常的に護摩が焚かれる本堂は全体的に黒くすすけており、一般的な本堂の内部とは異なる印象を受けます。
そして、青岸渡寺は西国三十三所観音霊場の一番札所にもなっています。民衆が西国巡礼に参加するようになり、多くの巡礼者が訪問したと考えられます。それは、参拝した証として貼り付けられた千社札も数多く残されていることからも推察でき、信仰を集めてきたことがうかがわれます。
そのような青岸渡寺では、昨年10月に行者堂が再建されました。行者堂とは修験道の開祖である役小角※を祀るお堂で、もともとは熊野那智大社の境内にあったとされるものです。しかし、明治政府によって神道以外の宗教は認めないという方針が打ち出されます。その結果、それまで一体を保ってきた熊野那智大社と青岸渡寺は完全に分離させられ、また大社の境内にあった行者堂もとりこわされてしまいました。ただ、行者堂を再建したいという青岸渡寺の住職たっての希望もあり、今回、150年ぶりの再建となりました。再建された場所は以前とは異なりますが、熊野修験の新たな中心地となると考えられます。
今回は那智山青岸渡寺についてお話しました。今年は世界遺産20周年ということもあり、普段は非公開の宝物殿「瀧寶殿」の特別公開が予定されています。期間は9月14日~9月23日と、11月1日~11月30日です。「金剛界立体曼荼羅」など、めったに見れないお宝が保管されていますので、ぜひ足をお運びいただければと思います。
それでは、次回は青岸渡寺別院である補陀洛山寺と、それに隣接する熊野三所大神社についてお話します。
※役小角…えんのおづぬ(えんのおづの)
読み方には諸説あります。
文・前田 愛佳(学芸員)
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