今から約1,500年前の古墳時代は、列島各地で王のために巨大な古墳が造られました。王の棺には巨木をくり抜いた木棺や、巨石を精巧にくり抜いた石棺など、1人を納めるには過大な棺が用意されました。
大王墓の今城塚古墳には複数の石棺が納められ、このうちピンク色をした石棺は直線距離にして500kmも離れた熊本県宇土市で産出する馬門石(まかどいし。阿蘇山の火砕流が堆積した溶結凝灰岩)で作られたものです。発掘調査で見つかった馬門石の石棺はいずれも小破片ですが、総重量は150kg以上あります。また近年には隣接する氷室地区で保存されてきた長さ1m、厚さ0.3m、重さ250kgに及ぶ馬門石が、今城塚古墳の石棺の一部であることが分かりました。
では、この石棺は本来どれほどの大きさだったのでしょうか。今城塚古墳と同じ頃に作られた滋賀県野洲市円山古墳の馬門石製の石棺は、長さが2.8m、幅1.5m、高さ1.8mと巨大で、重さは5t以上と推定されます。今城塚古墳の石棺はこれに匹敵する大きさであったとみられます。
大王の棺を採石地の熊本県から高槻市まで運ぶには、水運で有明海から瀬戸内海を通って淀川を遡上し、最後に陸路を修羅で引いて運搬したとみられます。特に海上輸送では何度も寄港、停泊しながら天候の良い日中を選んで航海したのでしょう。船の漕ぎ手の食事や休養を含めて、停泊地の港を支配する豪族の協力がなければ成しえません。馬門石製石棺の存在は、大王が西日本各地の豪族と良好な関係を築いていたことの証とも言えます。
(埋蔵文化財調査センター)
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