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特集 SLに刻まれた想い。-過去と未来を乗せて-

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愛媛県八幡浜市

■王子の森公園にあるSLの謎
※詳しくは本紙をご覧ください。

■まちと人々を48年間 見守ってきたSLの歩んできた道のり
○ふるさとのためにSLを!
SLがある王子の森公園は昭和50年に酒六株式会社神山工場跡地に都市公園として開設し、昭和51年には遊具等を配置した「子どもの広場」が建設されました。
時期を同じくして八幡浜ライオンズクラブが結成20周年記念事業として「半永久的なものをふるさとに残したい」との思いから、SL誘致のため八幡浜市に寄附金を贈呈。これをきっかけに八幡浜市は国鉄(現在のJR)との交渉の結果、SLを無償で借り受けることとなりました。
国鉄の勧めで、車両は昭和50年に室蘭追分機関区で定年を迎えていた9600型と決まり、約2,000kmという長い道のりを経て八幡浜にやってきました。王子の森公園に運び入れるため、JR八幡浜駅で一度解体後、早朝の産業通りを60人もの作業員に見守られながら、クレーン車やトレーラー10台で運ばれました。そして、昭和51年5月15日に「ライオンズ号」と命名されたSLの除幕式が開催され、一般にも公開されました。
さまざまな人の想いと努力の結果、八幡浜にやってきて48年。今もまちを見守っています。

◆八幡浜センチュリーホテルイトー代表取締役
伊藤篤司(いとうあつし)さん(八幡浜ライオンズクラブ前会長)

○つながる「ライオンズ号」との縁
私が現在会員として所属している八幡浜ライオンズクラブは来年で結成70年目になります。SL誘致に動いた結成20周年の時には、祖父の伊藤俊一が会員でした。祖父と父、私と3世代が会員である八幡浜ライオンズクラブとSLには世代を超えて深い縁を感じます。
私自身は王子の森公園ができた時のセレモニーのにぎやかだった様子や、友達とSLや遊具で遊んだ思い出があります。
八幡浜ライオンズクラブはさまざまな奉仕活動の中で、王子の森公園のSLの清掃活動も年一回行っています。私たちもこのSLのように、地域に根を下ろし、これからも長く見守り続けていきたいと思います。

◆大山正風(おおやませいふう)さん(松山市)
Profile:内子町出身。小・中学校の校長、愛媛県埋蔵文化財調査センター初代調査課長などを歴任。退職後、全国のSLの調査・整備のボランティアに尽力する。

○SLの鮮明な記憶
私とSLとの出会いは、子どもの頃。遊び場だった内子駅にSLが到着した時に感じた石炭の匂いや吹き上げる蒸気と汽笛のごう音が今でも鮮明な記憶として残っています。大学生のときにSLを点検するアルバイトをしたのも子どもの頃の思い出があったからかもしれません。
そこで身に付けた修理技術や知識を生かし、退職後は、3年かけて全国のSL車両巡りをして、各地の修復のボランティアを始めました。王子の森公園のSLは市の依頼で平成30年から修復整備作業に入り、全国の仲間の協力も得ながら、往時の輝きに戻したい気持ちで取り組みました。
レールや重さの設計上、四国では走ることができなかったこの79642号は、現在全国で保存されている9600型の中では最後の機関車です。また、後部の炭水車は後から継ぎはぎされた形跡もあり、当時の人たちの大事に乗り続けようという苦心した想いが見て取れます。

○次代に残るよう大事に
子どもたちにも興味を持ってもらいたいので、ハンドルやコックなどは回して動かせるようにしています。私が子ども時代に乗って触って遊んだように、今の子どもたちにもどんどんふれてほしいです。八幡浜の皆さんにも、次代に残るよう大事に保存しながら、温かく見守ってもらいたいですね。

◆過去と未来を乗せて
全国的にも珍しい実際に乗って触って遊ぶことのできるSL。

目を細めながら大山さんは、語ります。
「SLには嬉しいことも悲しいことも運んだ歴史があります。車輪が覚えているんです。」
あまたの人々の想いを乗せて、遠く北海道から八幡浜にやってきたSL「9600型79642号」。
かつて、日本の経済や人々の生活を支えたSLは、今は黒煙を吐くことはありませんが、その重厚な姿で八幡浜を48年間見守ってきました。これからも地域と共に生き、まちと人々の過去と未来を見守り続けます。
王子の森公園に立ち寄った際には、SLの雪にも負けずかき分けて走る姿や、人々の生活と夢を乗せて駆け巡った姿を想像しながら、ふれてみてください。

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