文字サイズ
自治体の皆さまへ

能登半島地震被災地支援活動へ参加

6/37

熊本県水上村

教育課課長 堤田 江美子

■被災地の状況、感想は?
2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」。最大震度7を記録した未曾有の大災害が起きてから5カ月が経ちました。
熊本県の派遣要請により、5月16日~24日の間、輪島市で被災地支援活動に参加しました。甚大な被害となった石川県内では、現在、必要戸数の7割程度の仮設住宅が完成し、被災した方々は新しい生活をスタートされておられますが、崩れてしまった建物の解体作業やインフラ整備などは、人手不足により進んでおらず、復興にはまだ多くの課題が残っています。
私が今回派遣されたのは、能登半島北部に位置する輪島市です。現地に入って目にした街の姿は熊本地震で被害を受けた街並みと同じ光景でした。
奥能登の自然豊かな土地で、江戸時代に北前船による海運業の発展とともに栄え、昔ながらの町並みが残る黒島地区という地域は、国の伝統的建造物群保存地区に選定されています。平成19年に発生した能登半島地震でも大きな被害を受け、地区をあげて復興に取り組まれておりましたが、再び被害を受ける形となりました。
現地に入り、被災地を見て感じた印象は「想像以上に被害が大きい」ということでした。
木造住宅は1階部分が潰れている家が多く、液状化で地面が隆起したり、建物は大きく傾いたりしています。自治体などの公的な支援車両が入り、最低限通行できるように舗装されている状況でした。
被災しながらも避難所で働かれている方々は、復旧・復興の見通しが立っていない中でも、明るく振る舞われていることを感じました。それぞれ被災された方も、今できることを精一杯やっておられる印象でした。そのような姿を目の当たりにし、自分が少しでも役に立てばという思いが一層強くなりました。
また、倒壊した住宅にお住まいだった方の話を聞くことができました。阪神淡路大震災で被災経験者の方で、1度目の揺れが起きた瞬間に「裸足のまま外へ出ろ」と叫び、全員が外に避難した途端、2度目の揺れで住宅が倒壊して命拾いをした体験談を聞きました。過去の被災経験は、迅速な判断に繋がると感じたと同時に、日頃の備えの重要性も再認識しました。

■どのような活動をしましたか?
今回の支援業務は、輪島市の被災家屋二次調査で、家屋調査班が各被災家屋調査を図面に記した資料(1日約60件~80件)を(外周、被災状況等の数値)確認後、データ入力し、専用のシステムで家屋の被災判定を行う業務でした。この作業で住宅被害判定が確定し、個々の補助内容が決定していくことになります。
5月末までに5,000件を調査完了目標とされていましたが、輪島市周辺は大きな家屋が多く、調査にも時間を要し、進んでいないと関係者が言われていました。
熊本県は第21陣を最後に5月末で派遣を終了することとなりますが、他県では引き続き支援する自治体もあることを聞きました。特に宮崎県、高知県においては持続的に支援に入られており、南海トラフを想定した訓練でもあると話されていました。

■被災地に必要なものは?
災害時の人手不足は自明のことで、甚大な震災なら拍車がかかり、対処法の議論は必須と言えます。
自治体職員は自らも被災者になり、疲弊の中で各所と調整して人手を募るのは酷な業務です。となれば普段から広域的な調整を行う国、県が人手対策に注力し、平時からの募り方が重要であることを感じました。
支援に入った地域は高齢者が多く、個々人の再建に向けた動きが進んでいない、圧倒的にマンパワーが足りていない、ということを強く感じました。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU