文字サイズ
自治体の皆さまへ

さかい風土記150 「田屋(たや)」と「御油田(ごゆでん)」

15/17

福井県坂井市

■豊原寺(とよはらじ)とのつながりを示す
丸岡町東部の山間にあった豊原寺は、多くの武装した僧や寺坊を抱え、平泉寺(へいせんじ)(勝山市)と並び、越前の有力寺院として繁栄していました。天正三年(1575)に織田信長(おだのぶなが)に焼き払われ、現在は跡地のみ残ります。発掘調査や文献記録からも、その繁栄が裏付けられます。
丸岡城の築城に伴い、その城下町に寺内の坊院や職人が移ったとされ、現在でも豊原寺から移転したと伝わる寺院や、「石城戸」など関連する地名が残っています。また旧城下町以外にも、豊原寺に関係する地名が、市内にはいくつかみられます。
豊原寺があった豊原集落近くに「田屋」という集落があります。豊原寺が栄えていた室町時代に、蓮如(れんにょ)によって開かれた吉崎御坊(よしざきごぼう)(あわら市)には、「多屋」と呼ばれる参詣者のための宿泊施設がつくられたそうですが、おそらく現在の田屋にも、かつてそうした豊原寺の附属施設があり、地名が「多屋」から「田屋」に転じたと思われます。
また坂井町御油田ですが、江戸時代に書かれた地誌『越前国名蹟考(えちぜんのくにめいせきこう)』によると、豊原寺の「灯明(とうみょう)料」が由来で、「御油田」の地名になったといいます。かつて豊原寺が栄えていた頃の灯火用の油は、植物性のえごま油が使用されましたが、その土地(田)から収穫された年貢が豊原寺に納められて、灯明(仏に供えられる灯)のための油を購入する費用に充てられたのでしょう。
ちなみに御油田にある演仙寺(えんせんじ)は、現在は浄土真宗本願寺派のお寺ですが、かつて豊原寺のある僧が蓮如に帰依(きえ)して、天台宗から浄土真宗に宗派を変え、豊原から現在の御油田に移って寺を建てたといいます。寺の山号も「豊原山」といい、豊原寺とのつながりをうかがわせます。
今は跡地のみを残す豊原寺ですが、市内のあちらこちらに関係する地名を残しているのです。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU