■旧五十嵐家住宅(7)
どんな民家が古いか
「柱立て」について
柱を立てる方法にも歴史があります。岩陰遺跡など洞窟に居住してから平地に進出し、家を建てるようになった縄文時代は土を掘って柱を立てる「掘立て柱」の方法が中心でした。場所や建物の性質により「掘立て柱」の建物は近代まで続いてもいます。
掘立てはそれだけで柱が自立します。しかし、大きな欠点として、柱木が地面に触れることで根の部分が腐り、倒壊する危険があります。掘立てである伊勢神宮では二十年ごとに式年遷宮が行われ、新しい建物に造り替えられますが、この年限が建物の時間的な限界をあらわしているともいえます。
また、礎石の上に柱を立てることを「礎石立て」とか「石場立て」といいます。「石場立て」は、柱の底が地面から離れるため腐りづらく、結果として長持ちする反面、自立しづらく、地盤を突き固め(ドウツキ)て、さらに礎石の下に根石や栗石を積めて礎石の沈下を防ぐ方法がとられました。弱い地盤の場合を含め、建物が大きくなるに伴い、持続させるために入念な下作業が必要になったのです。
旧五十嵐家住宅でも外観からそのことがわかります。一つ一つの礎石を入念に設えても、それぞれの柱にかかる比重が均等ではないと沈下し、建物が変形することがあります。これを未然に防ぐために「土台」が付けられました。土台は礎石と柱の間に敷かれ、地面に近いことから湿気に強い栗の木などが多く用いられました。柱の仕口も統一されて仕事の効率化が図られました。
もともと土台は神社の本殿などに使われましたが、民家では先ず建物の外周に、次いで十九世紀中期頃からは内部の部屋境にも使われるようになりました。「土台無理」(はじめから無理)。また、「ドデナシ」(土台無し)という言葉は土台がしっかりしていない、根性がぐらついている人のことを云う言葉ですが、言葉の一般化は土台の歴史と繋がるようです。
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