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自治体の皆さまへ

【特集】基地があるまち(1)

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青森県むつ市

昨年、創設70周年を迎えた海上自衛隊大湊地方隊は、令和6年度末に横須賀地方隊との統合を控えており、また新たな節目を迎えようとしています。
今回の特集では海上自衛隊大湊地方隊のこれまでの歴史と地域との繋がりを、関係者の皆様方にお話を伺いながらご紹介したいと思います。
大湊地方隊の歴史は、明治35年に設置された帝国海軍大湊水雷団から始まります。なぜ大湊に海軍の拠点が置かれるようになったのか、それは、大湊が陸奥湾の奥にあり、芦崎という、鳥の嘴のような形をした自然の防波堤があること、また、背後にそびえる釜臥山が防御に優れていること、流れてくる水が豊富であることなどが理由で、北方警備の拠点となった大湊は、その重要性から明治38年に大湊要港部へ、昭和16年には大湊警備府に昇格しています。
昭和20年の終戦後、大湊警備府は閉庁されましたが、昭和28年に保安庁警備隊によって大湊地方隊として復活し、翌年の昭和29年には、海上自衛隊大湊地方隊となりました。
明治35年の水雷団発足当時は350人ほどだった隊員も、3年後の明治38年に大湊要港部が設置される頃には850人にものぼる隊員が在籍していました。当時から全国と比べて第一次産業の比率が高かった青森県の中にあって、修理工場の創業をはじめ飲食店の増加など、大湊地方隊の発展はむつ・下北の発展に大きく寄与しました。(『大湊地方隊50年史』によると、平成15年には2,808名もの隊員が所属していたと記されています)その後も、現在に至るまで、隊員、隊員家族、行政、関連産業などが、基地があるまちとして互いに共存し、互いがなくてはならない存在として支え合いながら歴史を刻んできました。

■大湊地方隊の沿革
・明治35年8月1日…帝国海軍大湊水雷団創設
・明治38年12月12日…帝国海軍大湊要港部新編
・昭和16年11月20日…帝国海軍大湊警備府に改編・強化
・昭和20年8月15日…終戦
・昭和20年11月30日…大湊警備府廃止
・昭和27年4月26日…海上保安庁に海上警備隊を創設(海上自衛隊の前身)
・昭和27年8月1日…総理府の外局として防衛庁の前身となる保安庁を創設
海上警備隊を警備隊に改称し、警察予備隊とともに保安庁に統合
・昭和28年9月16日…保安庁警備隊大湊地方隊を新編
・昭和29年7月1日…「防衛庁設置法」及び「自衛隊法」施行防衛庁及び陸海空自衛隊を創設
海上自衛隊大湊地方隊となる
・令和5年9月16日…海上自衛隊大湊地方隊創設70周年
・令和5年12月22日…第51代大湊地方総監 近藤 奈津枝海将就任
引用:海上自衛隊大湊地方隊ホームページ

8月30日(金)から9月1日(日)まで開催された「第14回日本ジオパーク全国大会下北大会」に併せて開催された「Mmm!(まんぷくまさかりまーけっと)」では湾内クルーズや艦艇見学、海上自衛隊大湊音楽隊のコンサートも実施されました。普段見ることのできない艦艇内の見学や、隊員が実際に着用している潜水服の試着など、さらに海上自衛隊を身近に感じる機会となりました。

自衛隊は、有事の際に捜索・救助、水防、医療、防疫、給水、人員や物資の輸送を目的として私たちの命を守る活動をしている重要な組織です。
今回特集を組むにあたり、取材対応していただいた隊員の方の「危険を顧みずどんな状況でも人命を最優先することができるのは、日々の訓練の成果であり、救助の際にかけてもらう感謝の言葉がやりがいにつながります」との言葉に、心強さと大きな安心感を抱きました。

平成24年2月…国道279号線豪雪災害派遣
平成30年2月…小川原湖災害派遣
令和3年8月…むつ市・風間浦村豪雨災害現地調査

陸奥湾で行なわれた機雷戦訓練・掃海特別訓練では、掃海隊群が入港した際むつ商工会議所が中心となり、今年初開催となる交流イベント「大湊夜市」が開催されました。
大湊に基地があることで、様々な交流が生まれ、まちも賑わいます。

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