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ふるさとの歴史・文化再発見 VOL.1

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静岡県富士宮市

―上井出地区・白糸地区―

富士宮の歴史・文化を地域全体で保存・活用し、将来に引き継ぐために、地域の皆さんの意見を聴きながら「文化財保存活用地域計画」の策定を進めています。
郷土資料館の移動展示では、各地域の歴史や文化を詳しく紹介しています。

移動展示[上井出地区・白糸地区]
日時:8月19日(月)~23日(金)
場所:白糸出張所

◆上井出地区
上井出区・人穴区・富士丘区・根原区・麓区・猪之頭区・芝山区
◆白糸地区
原区・内野区・半野区・狩宿区

富士山が噴火を繰り返してできた地形によって、富士宮市は、水が不足している地域と、水が豊富に湧き出る地域があります。
それぞれの地域には、富士山の恵みや地域の特徴によって発展した、産業や歴史・文化があります。

■上井出地区の開拓と酪農
上井出地区は、雨水が地下に染み込むため、川がなく水が不足する地域です。
大正時代から昭和時代初期までは、家畜の飼料や堆肥の原料となる草を刈り取るための草地であり、その後、開拓などによって県内有数の酪農地帯へ発展した地域です。

◇朝霧高原の開拓
終戦後の日本は、戦時中に海外にいた多くの軍人や軍の関係者、民間人などが国内に引き揚げたため、食糧不足が深刻な状況にありました。それを解消するために、全国で農地開拓が行われました。
広大な朝霧高原には、昭和21(1946)年、長野県出身者を中心に結成された「西富士長野開拓団」が入植しました。
しかし、水不足の土地では、農業での開発がなかなか進まなかったため、多くの入植者が栄養失調になるなど、生活環境はとても過酷な状況にありました。

◇県内有数の酪農地帯へ
昭和29(1954)年、政府から「高度集約酪農地域」に指定された富士山麓一帯には、ジャージー牛※1が積極的に導入されました。
富士丘区でも、米国産ジャージー牛が導入され、本格的に酪農が始まりました。
資金面での負担を軽くするために、昭和30年代には、共同経営が行われるようになり、昭和39年に5人の酪農家を1 単位とする共同パーラー(搾乳所)が建設されたほか、開拓の妨げとなる「富士マサ※2」を取り除く大規模な草地改良も行われました。
現在では、約5,300頭の乳牛が朝霧高原で飼育されており、県内でも有数の酪農地帯に成長しています。
※1 乳牛の一種。現在、朝霧高原に多く放牧されているホルスタイン種よりも小型
※2 富士山が噴火した際の火山噴出物

◇人穴用水路の整備
人穴区では、明治8(1875)年、猪之頭村や原村(白糸地区)の協力により、芝川から人穴まで用水路が整備されました。
この用水路は、昭和30年代後半に上水道が整備されるまで、産業や生活を支える重要な水として地域の人々によって利用されました。
人穴富士講遺跡と人穴小学校の中間にある「人穴用水路の由来」碑には、「水恵無尽(尽きることのない水の恵み)」の文字のほか、人穴用水路が整備された経緯や、用水路によって富士山の恩恵を受けたことなどが書かれています。

■白糸地区の湧水と伝承
白糸地区は、富士山からの豊富な水が湧き出るほか、芝川もあるなど、水に恵まれた地域です。
この自然環境は、猪之頭区の養鱒業や、白糸の滝をはじめとした観光地の発展につながるなど、地域の産業や生活に大きな影響を与えたほか、水にまつわる伝承など独自の文化を発展させました。

◇猪之頭の湧水を利用した養鱒
猪之頭区には、市内でも有数の湧水群があります。
低温で豊富な湧水が、ニジマスの養殖に適していたため、昭和8(1933)年に「静岡県水産試験場富士養鱒場」が開設されました。
平成21(2009)年にニジマスが「市の魚」に制定されたほか、市町村別のニジマス出荷量が全国1位となるなど、富士宮市を代表する産業に成長しています。

◇沼地や湿地の形成
約2万年前、富士山(古富士)の山体が崩れた際に、大量の土砂が天子山地の山並みにぶつかり堆積しました。
この土砂には、水を通しにくい性質があったため、天子山地から流れた水が溜まり、狸沼や小田貫湿原などの沼地や湿地がつくられました。

◇田貫湖への整備
狸沼周辺の地域では、芝川から引いた水を農業用水として活用していました。
しかし、大正12(1923)年に発生した関東大震災の影響などで芝川の水量が減ったことから、新しい水源を確保するために、堤防を築いたり、拡張工事を行うなど、狸沼をため池として整備し、現在の「田貫湖」となりました。

◇水が不足する地域の水源
水が不足する地域では、土地を開発するために、芝川や潤井川などの河川や湧水を水源に、多くの用水が開削されました。
1582(天正10)年に徳川家康が、家臣・井出正次に開削を命じたとされる北山(本門寺)用水は、芝川の水を内野横手沢で引き入れ、江戸時代には、北山のほか、外神・宮原・山宮・万野原新田まで広げられ、住民の生活を支えました。

◇田貫湖の伝承
田貫湖や麓区周辺の地域には、水にまつわる伝承があります。
その一つである「炭焼き藤次郎」では、『都から来た姫を妻に迎えた働き者の若者が、姫の助けを借りて、「狸沼」と考えられる沼地を田畑へ開発し、裕福な長者になった』と伝えられています。

問合せ:文化課
【電話】22-1187
【FAX】22-1209

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