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自治体の皆さまへ

私たちは学び、伝えていく~令和6年度小山町平和教育生徒派遣事業~(2)

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静岡県小山町

◆広島平和学習で学んだこと
須走中学校 末田 瑞季
私は、広島平和学習を通じて戦争の悲惨さと平和の大切さについて改めて学ぶことができました。
平和記念資料館では、数多くの被爆者の展示品や証言を通して、戦争や原爆が人々に与えた悲しみや苦しみを感じることができました。また平和記念公園では、多くの人々が平和への祈りを捧げている様子を目にしました。平和への願いが世代や国境を越えて受け継がれていることを実感しました。
私が特に印象に残ったことは、被爆者本人が語る被爆体験講話です。講話を通じて原爆がどれだけ多くの恐怖や苦痛をもたらしたか、また被爆後の生活がどれだけ過酷だったのかを学ぶことができました。被爆者が話された内容は、私たちが目にする教科書や映像からの情報とは異なり、実際に体験した視点から語られる内容で、私はより深く現実味を感じ、心に響きました。
今回の広島平和学習を通して、私たちが過去の悲劇を忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないために何ができるか考えるべきだと思いました。今回の平和学習では、自分の学習テーマである「深く学ぶこと」ができたので、この貴重な経験を生かして、まずは須走地区全体に、そして後世に語り継げるように今後も平和について考え続けていきたいと思います。

◆五感で感じた被爆地「広島」
北郷中学校 春日 虹槻
私がこの広島平和学習に当たって立てた個人テーマは、「五感で感じる」でした。実際に広島を訪れ、五感で様々なことを感じ、学ぶことができました。まず初めに目に入った原爆ドームでは、原爆や戦争の恐怖、破壊の象徴として、戦争当時や被爆者の苦しみや悲惨さを感じることができました。平和記念資料館では、数多くの被爆者の遺品や写真、そして被爆後の広島の様子が生々しく展示されていました。目を背けたいと思うような惨(むご)たらしい光景でしたが、この歴史は絶対に忘れてはいけないと実感しました。実際に被爆された方から体験を聞く貴重な機会もありました。そこでも「被爆した後は水を飲んだだけでたくさんの人が亡くなってしまった」というような原爆の悲惨さについて体験に基づく話を伺いました。この講話で私が一番印象に残っているのは、「この被爆体験を伝える証言者は、今は30人しかいない」とおっしゃっていたことです。この話を聞き、私は原爆の悲惨さを少しでもいいから広く伝えることが必要だと強く感じました。
三日間の平和学習を通して、戦争や原爆の恐ろしさを五感で感じ、平和の大切さを深く学ぶことができました。その他にも人との関わりや広島の食文化などにも触れることができ、充実した三日間になりました。今回学んだことを、学校や地域、様々な場所で発信していきたいと思います。

◆原爆の恐ろしさと平和の大切さ
北郷中学校 池本 好花
私は小山町の代表として、広島平和学習に参加してきました。
最初は映画などのフィクション上で見た戦争について興味を持ち詳しく知りたいと思ったのですが、実際にその場に行って感じるものは全く違いました。
袋町小学校には、国語の授業でも習った「壁に残された伝言」がありました。また、爆心地に近く、実際に校舎が大きな被害を受けた本川小学校では、被爆当時の変形した校舎の写真や原爆の熱によって変形した日用品など、多くの展示品を見ることができました。
原爆に関する様々な物に触れる中で、私が特に印象に残っているのは、被爆者の体験講話と平和記念資料館です。被爆者の佐渡さんと佐渡さんの妹は、祖母の家の庭で被爆したそうです。佐渡さんは建物の陰に吹き飛ばされたのでけがで済んだのですが、妹は直接被爆したので、顔以外ひどい火傷を負ってしまったそうです。その後、被爆体験者の苦しみを感じながら平和記念資料館に行ったのですが、展示されている当時の写真や身に着けていたもの、手紙の実物を見たことで更に原爆の恐ろしさを感じました。その衝撃は、授業やフィクション上で知った恐ろしさとは比べものになりません。
この広島平和学習で私が学んだ原爆の恐ろしさや平和について、皆に伝えていきたいです。そして、もう二度と戦争が起こらぬように自分にできることをしていきたいです。

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