■共に歩んだ人から[1]
生徒たちは、市でどのような暮らしを送っていたのか。また、どのような人間性を持っていたのか。移転当初から生徒たちのことを知る2人にお話しを伺いました。
◇(株)時之栖 永井 孝之 さん
アカデミー移転時から、生活面全般をサポート
《私たちが元気をもらった》
移転して来た頃の生徒達は、震災や親元を離れるなどの環境の変化によって、心が不安定な子もいたと思います。そこで私たちは、移転前の環境を参考としつつ、生徒たちがアットホームな中で家族のように過ごせる環境づくりを心掛けました。
そのために、JFAの方に聞き取りを行いました。また、生徒たちがいる建物から専用グラウンドまで安全に移動できる遊歩道の設置や、好きな時間に練習を行えるためのグラウンド照明設備の設置など、もともとあった施設に更に手を加えて、生徒たちを応援しました。
そのような日々で印象に残っているのは、中学1年生を迎え、高校3年生を送る際に行われる歓送迎会です。生徒たちが機敏なダンスパフォーマンスを披露したり、笑いを取り入れたりし、非常に楽しく、盛り上がる会です。普段は練習詰めの彼らの、若さ溢れる姿を見て、私たちの方が元気をもらっていました。
生徒たちは「練習は裏切らない」を合言葉に、日々鍛錬を重ねていました。今後もその経験や縁を大切に、共にサッカー界を盛り上げて欲しいと思います。そして、この場所を第2・第3の故郷として、これからもお会い出来ることを楽しみにしています。
◇元富士岡中教諭 髙杉 聡哉(としや)先生
アカデミー移転時から、4年間生徒たちを指導
《人間力が高い生徒たち》
移転してきた直後、富士岡中には60人ほどのアカデミーの生徒が通学していました。ホームシックもあったと思いますが、富士岡中が元々複数の小学校から生徒が入学してくることや、アカデミーの生徒が集団登下校をしていたこともあり、すぐに学校生活に馴染んでくれたと思います。
特に印象に残っていることは、部活動の時間に、アカデミーの生徒たちと富士岡中サッカー部が練習試合を行ったことです。他の部活動の生徒たちも集まり、皆で観戦したことを覚えています。アカデミーの生徒たちが躍動する姿を見て、「さすがはうまいなぁ」と感心しました。
また、3年次には、大会を直前に控える中で修学旅行に参加し、他の生徒たちより一足早く旅程を切り上げて大会に向かいました。仲間との思い出を大切にしながらも、自分たちの目標に向けて前進していく姿勢が感じられました。
アカデミーの生徒は、リーダーシップ能力やコミュニケーション能力などの人間力が高い生徒が多かったです。こちらの生徒や教師とすぐに打ち解け、生徒会役員や学級委員、合唱の指揮者など、運動以外でも常に生徒の中心に立って活躍している姿が印象的でした。成人式の同窓会にも、元気な顔を見せてくれました。
これからもたくさんのことを経験し、様々な面で、世界の舞台で輝く人になって欲しいと思います。
◇コラム
~御殿場市での知られざるエピソード~
《地域が協力》
アカデミーの移転が決まった時、立ち上がったのが富士岡中OBをはじめとする地域の皆さんでした。急遽の移転で準備もままならない中、卒業して使わなくなった制服などを生徒たちに寄付しました。地域のサポートがあってのスタートでした。
《生徒たちのお楽しみ!毎月の誕生会》
生徒たちの楽しみの1つが、月に1度の誕生会。平成23年の移転当時から開催され、誕生月の生徒が抱負などを発表したそうです。BBQ形式や時之栖内のレストランでも行うなど、慰安を兼ねた会でした。
《選手たちを支えた食事の秘密》
生徒たちの身体作りの基本は、何といっても食事。朝昼晩の3食がバイキング形式で提供されました。時之栖の方が管理栄養士の資格を取得し、調理師やJFAの栄養士と相談しながらメニューを考案。刺身などの生物(なまもの)は普段は出さず、誕生会の際などに振る舞われました。
《恩返しの心》
移転当初の震災を経験した生徒たちは、市で様々な心温まる待遇を受け、当たり前だと思っていたことが当たり前ではないと気づいたと言います。「自分たちに出来ること」は何か考え、時之栖の従業員による園内清掃やイルミネーションの飾り付けにも参加し始め、後輩たちにも受け継がれていきました。
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