- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道旭川市
- 広報紙名 : こうほう旭川市民「あさひばし」 令和7年10月号
■次世代の市民によって新しい夢を描いてゆけばよい※
旭川駅前から北に続く約1kmの通り。曜日や時間に縛られない日本初の恒久的歩行者専用道路です。50年以上も前に、ニューヨークや東京に先駆けた前代未聞の社会実験を行い、多くの市民、商店街、関係団体、さらには国をも巻き込みました。「敗色濃厚の会議をひっくり返した一言」、「規制の壁を打ち破った全市をあげての運動」といった数々のドラマ、先人の汗、そして大きな夢が成し遂げ、ついに昭和47年6/1に誕生した、それがここ旭川平和通買物公園(以下「買物公園」)なのです。
※買物公園オープニングセレモニーでの旭川市長(当時)・五十嵐広三さんの言葉。
▽歴史は戦前から
明治34年:〔師団通〕明治34年の陸軍第七師団の移駐を機に中心商業地が形成。旭川駅~第七師団間は「師団通」と呼ばれました
昭和20年:〔平和通〕終戦により第七師団が解体となり、昭和20年に「平和通」へと改称されました
昭和47年6月:〔買物公園がオープン〕オープニングセレモニーは身動きがとれない程の人だかりに。祝いの花火、5,000個の風船、1,000羽のハトが舞い上がりました
■買物公園にかけた先人の夢
▽「人間性の回復」と「商店街の活性化」
当時は、高度経済成長に伴う自動車の氾濫により、自動車公害や交通事故の急増など、人間がじゃまものにされている主客転倒の現実に面していました。旭川市長(当時)・五十嵐広三さんは、こうした車社会から解放されるとともに、繁華街だからこそ花や緑、彫刻や噴水に囲まれた広場で人々が交流し、自然と対話できる、人間のための「公園」(空間)を取り戻したいという夢を語りました。同時に、市の中心にあり、舞台となった商店街が求めたのは、地域の魅力を向上させて売上げ=「買物」につなげる活性化でした。こうした歯車がかみ合い、実現したのが「買物公園」構想なのです。
▽誇るべき買物公園 恒久的で日本初となる空間
買物公園は法律上では「歩行者専用道路」に当たります。しかし、構想当初はそうした区分は存在せず、後述する社会実験をはじめ買物公園の実現に向けたうねりが影響を与え、法律をも変えていきました。
そして、現在、私たちが当たり前に毎日、いつでも歩くことができるように「恒久的」な歩行者専用道路である点が日本初のことなのです。その新規性、独自性が大注目を浴び、オープン前から全国の視察が訪れ、全国・地方合わせて数百回の報道がなされました。
買物公園に現在まで息づく、彫刻や噴水などの文化・芸術的要素と商店街が融合した、市民の憩いの場として機能する空間は、まさに「恒久的」であることがもたらしたといえます。
▽夢の実現に奔走
後に五十嵐さんは言います。「僕たち市民が、この買物公園を誇りにするのは、出来た造形の姿ではない。(中略)僕たちが平和通り買物公園について、胸を張って大いに語りたいと思うのは、この広場がつくられる時のプロセスなのである。」※
道路を公園に変えようという試み。国、警察などの反対や、法律・時間・予算の壁など問題は山積みでした。それに屈せず、時には商店街・商工会議所・行政らが国、北海道知事、道警本部など関係する箇所は全て折衝に回る、まさに全市をあげた運動を行うなど「買物公園」の名の下に協力し克服してきたのです。また、時には市民のアイデアを計画に盛り込むなど、皆の知恵を結集して乗り越えてきました。
買物公園の誕生までに約8年を要しました。この間、病に倒れた方、自身が首になり退職金で支払うことも覚悟で資材を調達した方など、壮絶な人間模様と協力の上に、夢の実現が成ったことは忘れてはいけないでしょう。
※『買物公園ものがたり』。
■社会実験
買物公園オープンの3年前、本格実施に先立ち国道・道道を封鎖する社会実験を行いました。
前代未聞の実験に向けてチームは根回しに尽力。ついに関係機関が集まった会議で噴出したのは問題点。「やはりだめか」という落胆の空気が漂ったとき、商店街理事長(当時)・山本政治郎さんが立ち上がり言いました。「かつて士農工商という言葉があったが現在も生きているのだろうか。住民や商店街が、こうあるべきだと願うことが、どうして理解することができないか。(中略)私はどのようにでも責任をとるが、実験を真剣に考えている若い芽だけはつまないでくれ。」※会場は静まり、出席者の胸に響いたといいます。会議後も折衝が続きましたが、晴れて実施の許可が下りました。実験は12日間で計92万人の人出となり大成功でした。これをきっかけに昭和47年の買物公園オープンが加速していったのです。
※『買物公園ものがたり』。
■買物公園で育った方にお話を聞きました
▽たくさんの笑い声や人通りで活気が広がりましたね
買物公園オープン前は排気ガスで空気が悪かったことを覚えています。それが樹を植え、車を止めたことで劇的に変わりました。町内会の皆と、ここで焼き鳥をし、にぎやかにビールを飲み交わしたのは、車が通らないこの通りでしか味わえない雰囲気でした。私の子供たちは、キャッチボールや家庭用プールで遊び、ここで新しい友達ができたりして元気で満ちていましたね。後で聞きましたが、買物公園に反対した商店街の人も、市役所の情熱がすごく、何度も来て「もう仕方ないか」と押し切られて最後には賛成したらしいですよ(笑)
教えてくださったのは115年続く前川茶舗の店主前川裕司(まえかわひろし)さん
