- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道稚内市
- 広報紙名 : 広報わっかない 2026年1月号
《第7回 81年目の継承編》
令和8年、太平洋戦争の終結から81年目を迎えます。本企画では、昨年から戦後80年の節目として、6回にわたり、稚内の対岸に広がる旧樺太(現サハリン)で起きた出来事を、引揚者や関係者の証言からたどってきました。第7回となる今回は、その記憶から学び、自分ごととし、未来へとつなげるために、子どもから大人まで、稚内市民が続けている取り組みを紹介します。
平和な今を生きる私たちは、81年前の出来事とどのようにつながっていくのか。ともに考える契機になれば幸いです。
■樺太と稚内
稚内市史第二巻には、昭和24年4月の市制施行の背景として、太平洋戦争終結に伴う多くの引揚者の定住があったと記されています。国の引揚事業が一区切りした昭和24年3月の調査では、引揚者約5千500人が稚内に定住したとされており、結果、人口3万人の市制施行の要件を満たし、稚内は町から市になりました。その後、引揚者を含む稚内市民の努力により、戦後の復興と経済成長が進んだことは広く知られています。
稚内は樺太との深い結びつきのもとで発展し、常に国境と向き合ってきた歴史があります。戦後81年目の今、次の世代がこのことを学び、今を生きる私たち自身も記憶を風化させない姿勢が求められています。
■記憶をつなぐ
終戦前後の樺太地上戦や引揚時の犠牲者は樺太全島で5千人以上といわれていますが、正確な数字はわかっていません。
稚内市では毎年8月20日に「氷雪の門・九人の乙女の碑平和祈念祭」を行い、樺太で亡くなった方々を追悼しています。
祈念祭では、市内の吹奏楽部が追悼演奏を行っていますが、戦後80年の節目となった令和7年は「記憶をつなぐ」取り組みとして、九人の乙女と同世代にあたる高校生がメッセージを届けました。担当したのは、稚内大谷高校吹奏楽部の部長・西岡汐音さんです。西岡さんは友人と一緒に、九人の乙女の悲劇を振り返りながら、思いを文章にまとめました。
「同世代の女性たちが仕事を全うして亡くなっていったことが、今の自分たちだと考えられなくて。同世代として本当に感心するし、二度と同じことが起きないでほしいという願いを込めました。」
祈念祭当日、九人の乙女の遺族や樺太関係者など約240人が参列。献花の後、西岡さんによってメッセージが朗読されました。
「10代の私たちにとって戦争は遠い過去のように思います。同世代の彼女たちが夢や希望を奪われたことを考えると、今の平和がどれだけ尊いか実感します。これからも記憶を語り継ぎ、悲劇を繰り返さないようにしたいです。」
そして、稚内大谷高校吹奏楽部が『見上げてごらん夜の星を』を演奏。それを聴く参列者の中には、静かに涙を拭う姿もありました。祈念年祭終了後、参列者の女性が西岡さんに近づき、「メッセージに感動しました。それを伝えたくて。」と声をかけていました。西岡さんも女性にメッセージの文章を見せながら言葉を交わしていました。
・この様子は市民ニュースで
※二次元コードは本誌P.4をご覧ください。
■記憶を知る
西岡さんは朗読を通して、「悲しい出来事があったことは、忘れちゃいけない。これから戦争を勉強していく子どもたちにも知ってほしいです。」とも話しました。
稚内市内の小中学校でも、戦争の歴史を学び、平和について考える平和学習に取り組んでいます。稚内東小学校4年生は9月、北方記念館や樺太記念館を訪れ、九人の乙女や戦争について、職員から説明を受けました。職員は、当時、電話が重要な通信手段だったことや、自決に至った背景をわかりやすく伝え、児童たちも真剣にメモを取りながら耳を傾けていました。
「(地図を指さしながら)ソ連軍は、こっちから攻めてきたんですか?」「そう。西の海から上陸して、逃げられなくなって、亡くなった人が多くいるんだよ。」
児童たちは稚内公園に移動し、九人の乙女の碑や氷雪の門を見学。この日は天候に恵まれ、旧樺太の島影がはっきり見えました。
「九人がなぜ亡くなったのか、よくわかりました。」「これから学校で調べた内容をまとめたいです。」
見学後、児童たちは学んだ内容をスライドにまとめ、発表し合いました。
「ソ連軍につかまることが怖そうで、僕なら絶対逃げたいと思いました。だから戦争は二度と起こしてはいけない。」「戦争は、結局何も残らず、ただ死者が増えていくだけの悲しい争いだと思いました。」
子どもたちは平和学習で学んだ事実に向き合い、自分の言葉で平和への思いを表現していました。
・この様子は市民ニュースで
※二次元コードは本誌P.5をご覧ください。
