文化 戦後80年企画 対岸から樺太を見つめて(2)

■記憶を遺す
若い世代がこのような活動を行うためには、地域で歴史や文化を守り、学びの場を整える大人たちの存在が欠かせません。
「稚内市歴史・まち研究会」は、歴史的建築物の保存や利活用を通して、稚内固有の歴史や文化を次世代へつなぐ活動を続けています。その活動の中心が恵北地区にある「旧海軍大湊通信隊稚内分遺隊幕別送信所(通称・稚内赤れんが通信所)」です。通信所は昭和12年に建てられ、太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃の命令電報「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を中継したとされています。
同研究会の富田伸司会長は「この地域は国境のまちで、この建物はそれを示す象徴的な建物です。」と、通信所の存在意義を説明します。通信所を訪れた人からは「当時の雰囲気がそのままで、過去の出来事が身近に感じられる。」との声も寄せられています。
さらに、富田会長は「戦争に関わってしまったこの建物を遺しながら、この地域から戦争は起こしてはいけないこと、平和を伝えること、それが国境のまちに暮らす私たちの使命です。」とも話します。
毎年12月8日の開戦日に通信所で行われる「平和祈念の灯り」は、通信所の外周を灯ろうで囲み、静かに平和を祈る行事として続けられてきました。戦後80年にあたり、稚内ユネスコ協会と共同で、市内のお絵描き教室「クローバーキッズ」の子どもたちが描いた絵を貼り付けた灯ろうを並べます。準備は夏から進められており、6月に教室を訪れると、一生懸命に絵を描く子どもたちが。ある女の子は「みんながニコニコしていてほしい」と、画用紙いっぱいの大きな笑顔を描いていました。
そしていよいよ、開戦日当日。この日は例年になく積雪が少なく、風も弱い穏やかな天候で、子どもたちの絵の中では柔らかな灯りがともり、大きな笑顔が、静かな闇の中で温かく揺れていました。
「稚内は江戸時代からずっと国境の地域です。教科書には出てこない史実ですが、稚内にもしっかりとした歴史がある。それをもっと知ってもらう活動を続けたいと思います。」と富田会長は語りました。

・この様子は市民ニュースで
※二次元コードは本誌P.5をご覧ください。

■戦後80年から81年へ
本企画では終戦前後に樺太で起きた出来事を、第1回から第7回まで取り上げてきました。戦後80年という月日は時間が積み重なっただけではなく、引揚者が体験を語り、市民が耳を傾け、次の世代へとつないできた努力が、そこにはあります。
令和8年は戦後81年を迎えます。本企画で紹介した引揚者の方の中には、すでにお亡くなりになられた方もいます。樺太や戦争、そして平和の尊さを語ることができる方が少なくなる今だからこそ、第7回で紹介した皆さんのように、戦争の記憶に向き合い、語り継ごうとする姿勢を、私たち一人ひとりも持ち続けていくことが求められているのではないでしょうか。

■広報わっかないで紹介した樺太引揚者のエピソードと時系列
8月11日:ソ連の樺太侵攻開始

8月13日:樺太島民の緊急疎開開始

◇第二回 5才の引揚 編
令和7年6月号掲載

8月17日:太平炭鉱病院 看護師集団自決

◇第一回 恵須取の戦禍 編
令和7年5月号掲載

8月20日:九人の乙女の悲劇

◇第四回 九人の乙女 編
令和7年8月号掲載

8月22日:三船遭難事件

◇第五回 大鵬の上陸 編
令和7年11月号掲載

8月22日:豊原空襲

◇第三回 豊原空襲 編
令和7年7月号掲載

8月23日:ソ連の樺太全島制圧

ロシア人との混住開始

◇第六回 戦後の混住 編
令和7年12月号掲載

問い合わせ:市社会教育課社会教育グループ
【電話】23-6520
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