文化 しりうち小噺(こばなし)

■鷹の話
知内の地名の由来はアイヌ語の「チリ・オチ」で「鳥・いる所」と言われています。知内川を中心に平野の広がる知内は小鳥や猛禽(もうきん)類など鳥が多くみられます。
中でもよく挙げられるのが鷹です。鷹の羽は弓矢の矢の矢羽根の材料として重要なものでした。また、戦国武将が鷹狩りを好んで行うようになると、こぞって優秀な鷹を求めるようになりました。
特に蝦夷地で獲れる鷹は絶品で、豊臣秀次(ひでつぐ)(秀吉の甥・関白)は蠣崎慶広(かきざきよしひろ)に毎年鷹を献上するように命じ、鷹を運ぶ日本海側各地の武将に宿舎や餌(えさ)の配慮(はいりょ)を十分に行うよう命じたほどでした。また、江戸時代にも同様に幕府が江戸までの通行に配慮するよう各領主に求めました。
鷹は松前藩の貴重な財源ともなっていました。黄鷹(生後一年前後の鷹。胸の毛が黄色であることから)の雌が最高で価格が35両、普通の鷹でも15両と高価で、これらが藩の収入の1割を担っていました。藩では主産地の知内や大野、七飯付近に鳥打人をおいて捕獲していました。
知内で鷹が産出された記録が『福山秘府』に残っています。寛永2(1625)年に爪も嘴(くちばし)も白い雄の鷹が獲れたとあります。ほかにも、7年には将軍を譲(ゆず)って大御所となっていた徳川秀忠に白鷹が献上され、寵愛(ちょうあい)を受けたということです。