文化 しりうち小噺(こばなし)

■青い目の人形
今年は昭和100年という年にあたります。昭和の初めごろは不況や大陸進出を狙った勢力争い、アメリカでは日本人移民への排斥運動が起こるなど、日米関係が少しずつ険悪になり始めた頃でした。
そのような時代でも関係改善を願う人たちがいました。アメリカ人宣教師のギューリック博士は「世界の平和は子どもから」という理念を掲げ、昭和2年(1927)に日本全国に1万2千体の友情の人形を送りました。これらは青い目の人形と呼ばれています。
北海道へ来た人形は函館の丸井今井呉服店で3日間披露された後、各市町村に配られました。知内へは5月22日に中ノ川尋常小学校へやってきました。当時代表して受け取りに行った児童は「福井谷地にあった船着場によそゆきのきれいな洋服を着せられていった」と話していました。
全国の青い目の人形はアメリカとの戦争により受難が始まります。敵国の人形であるということで焼かれたり槍で突かれたりし、処分されたのです。現在では全国に350体程度しか残っていません。
平成19年に授業で青い目の人形について学習した小学生によって「ブルーチェリー」と名付けられ、展示されています。