文化 しりうち小噺(こばなし)

■東海丸の事故
明治36年(1903)10月29日、矢越岬沖で青函航路を結ぶ日本郵船の貨物船「東海丸」が、ロシアの貨物船プログレス号と衝突しました。
前日の夜に乗客と郵便や貨物を積んで青森港を出発した船は、吹雪と霧で視界が悪い中、汽笛を鳴らしながらかろうじて朝の4時ごろに矢越岬沖にさしかかりました。そこへ突然、石炭を運ぶためウラジオストックに向かっていたプログレス号が衝突したのです。
船長の久田佐助は乗客乗員を全て救命ボートに乗せて下ろし、一人船に残ります。柱に自分の体を縛りつけ、周囲の船や沿岸に向けて汽笛を鳴らして救助を呼びかけながら船と共に沈んでいきました。この時38歳でした。脱出した救助用のボートがひっくり返るなどしてこの事故では47名が亡くなり、生存者は57名でした。
自らを犠牲にしてでも乗客の命を救おうとしたこの久田船長の話は美談として取りあげられ、戦前の教科書『小学国語読本』にも使われました。
矢越岬に灯台が建てられたのは昭和32年(1957)のことです。