- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道知内町
- 広報紙名 : 広報しりうち 2025年11月号
■田中明定
田中明定は江戸時代末期から明治にかけての人で、知内で最初の戸長(今でいう町長)となった人です。
江戸時代末期、重要財源であった漁場を失った松前藩は、知内川沿岸の農地に目をつけ開拓のため希望者を入植させます。明定はその一団を率いて万延元年(1860)に萩砂里(今の湯ノ里)へやってきました。しかしほとんどはうまくいかず離農し、残ったのは少人数でした。田中は入植者団を解散させ、藩に報告した後上雷に移住し、未開地の開墾に汗を流しました。
明治時代になり行政の仕組みが大きく変わります。その一つとして明治4年(1871)に戸長制度が始まりました。いくつかの村を区としてまとめ、責任者として戸長を置いて戸籍の管理をさせたのです。明定はその戸長に任命されました。後年戸長が官選から選挙により選ばれるようになり、地域住民による自治の形が作られ始めました。戸長はその後、徴税や教育、徴兵など行政の事務も担うようになりました。
知内ではこの明治4年を自治制の始まりとしています。今年はそれから154年ということになります。
明定は明治16年まで戸長として近代の知内の基礎をつくりました。また、戸長を降りたのちも、知内小学校で教育を行なったり、福島村との村境の確定にアドバイスをするなど、発展に力を尽くし、昭和2年に亡くなりました。
