- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道森町
- 広報紙名 : 広報もりまち No.241 令和7年4月1日号
■冷凍食品のはじまり
今や私たちの生活にとって欠かすことのできない冷凍食品ですが、日本国内における冷凍食品事業は、一人の実業家の手によってこの森町から始まりました。今回は日本初を伝える町内の文化財についてご紹介します。文化財の名称は「冷凍機械」、山口県小郡出身の葛原猪平(くずはらいへい)氏が手掛けた冷凍工場で稼働していたコンプレッサーとモーターです。
冷凍工場の操業開始は、森町が村から町へと変わりつつある大正9(1920)年になります。アメリカで冷凍加工の技術を学んだ葛原氏が、帰国後に訪れた森町で魚介類を中心とした噴火湾の豊富な資源を目の当たりにし、鮮度を維持したまま関東や関西の人たちにも味わってもらいたいという思いから現在の港町に工場を建設しました。当時、まだ家庭用の電力が供給され始めた時期であったこともあり、木炭ガスエンジンによる稼働で1日につき10トンの食材を冷凍することができました。事業が軌道に乗り始めた大正12(1923)年には、工場が増設され、翌年には十分な電力を得られるようになったことから、冷凍機械はガスエンジンからモーター稼働へと変わり、日産凍結能力は18トンにまで上昇しました。しかし、冷凍食品にまだ馴染みがなかった時期であり思い描いたままの需要を得ることができなかったため葛原氏自身は事業から撤退してしまいますが、数度経営者が変わりながらも途絶えることなく続いていきました。操業当初から稼働を続けていた冷凍機械は、事業の発祥から50周年を迎える昭和44(1969)年にその役目を終えるまで日本の冷凍食品事業を支え続けました。今も「日本冷凍食品事業発祥之地記念碑」とともに、工場のあった現地(現ニチレイフーズ森工場)に保管されています。昭和48(1973)年には日本の冷凍食品事業の発祥を伝える重要な資料であることから森町指定文化財第2号となり、その歴史を雄弁に伝えています。