子育て 子育てコラム

◆子どもの育ちと大人の役割
◇子どもで「ある」・大人に「なる」
「子ども」とは、二つ意味を併せ持つ存在だといわれることがあります。一つ目は「子どもである」存在です。「あなたは子どもなんだから、あなたのままでいいんだよ」と受け止める、現状肯定的な捉え方です。とはいっても、いつまでも子どもが子どものままでいても困ります。そこで二つ目は、いずれ「大人になる」存在です。ここでいう「なる」には、「~のように育って欲しい」といった先に生きてきた私たち大人の「思い」が込められています。この「思い」は、次の社会を担う子どもたちに向けられた大切な願いともいえるでしょう。しかし、子どもで「ある」ことを受け止め「あなたは大切な存在なんだよ」というメッセージをしっかり送ることをないがしろにして、大人の期待ばかりを伝えようとしても、子どもには届かないかもしれません。

◇大人の願い
筆者が保育所保育士として勤務していた頃の話です。小学校への進学を控えた年長児クラスの子どもたちは弁当箱(主食となる米飯を入れて登園)を巾着袋ではなく、大きなナプキンに包んで持参していました。それは就学に向けて「全員が蝶結びをできるようになり、片づけの習慣が身につくように」とのねらいをもった保育実践の一つでした。そのため、給食の片づけ時間になれば、保育者は一人ひとりの子どもたちのカバンを確認して、丁寧に結んでいない子どもがいれば、呼び戻して「トンネルくぐって…」と声をかけながら一緒に蝶結びを行っていました。その甲斐あって卒園時には、年長児全員が蝶結びで弁当箱を包み、カバンに片づけることが出来るようになっていました。
数年後、縁あって同じ地域の児童館で勤務するようになりました。その児童館には放課後の小学生の居場所となる「学童保育」が併設され、多くの保育所出身の子どもたちが通っていました。私が児童館に異動して初めての昼食時、信じられない光景を目の当たりにするのでした。それは保育所であれだけ丁寧に指導を重ね、全員が弁当を蝶結びで片づけるようになり、「よくやった」と気持ちよく小学校へ送り出していった子どもたちが、誰一人としてきれいに包んで片づけていなかったのです。しかし、当然のことなのかもしれません。保育所では保育者に「言われているからやっていた」だけなのでしょう。小学生にもなれば自分で判断して行動する機会も増え、就学前よりも大人からの言葉かけは少なくなるといえます。そのような中で、弁当を手間のかかる蝶結びで片づけようとしないのは、自然な行動といえるかもしれません。

◇私たちができること
皆さんは、これからの社会を担う子どもたちにどんな大人になって欲しいと願うでしょうか。そのために私たちができることは何でしょうか…。大人は子どもに「~ができる」といった目に見える成果を求めがちです。一つできれば二つできることを、二つできれば三つできることを求めてしまいます。しかし、目に見える育ちだけが、発達の全てではありません。「最近の子どもたちは…」と嘆く前に、まずは今ある子どもたちをしっかりと受け止め、温かなまなざしを送ることから始めてみませんか。そんな大人たちが見守る地域の中でこそ、子どもたちはイキイキと輝いてくるのかもしれません。

傳馬淳一郎(でんまじゅんいちろう)
名寄市立大学保健福祉学部社会保育学科准教授。保育所保育士、学童保育・児童館での勤務の後、保育者養成に携わる。大学では、保育実習指導を中心に、子ども家庭支援論、家庭支援実践演習、保育者論等を担当している。子どもの育つ環境、保育者の養成とキャリア、離職等を研究テーマとしながら、保育者向けの各種研修や保育現場の公開保育、園内研修のサポートを行っている。