- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道天塩町
- 広報紙名 : 広報てしお 2026年2月号
■鋳掛屋(いかけや)の鞴(ふいご)
新年あけましておめでとうございます。天塩町地域おこし協力隊の前川です。
昨年は地域おこし協力隊の活動へのご理解とご協力を賜り、心より御礼申し上げます。本年も、天塩の魅力を伝える活動に力を尽くしてまいります。
さて、昨年、収蔵庫として使用している旧更岸小学校で資料整理をしていた際に、気になるものが見つかりました。調べたところ、「鋳掛屋(いかけや)用の鞴(ふいご)」だと判明いたしました。
枠(ア)で囲った取っ手部分を⇔の方向に動かし、枠(イ)の穴から風が出る仕組みです。鞴(ふいご)とは、火力を強くし、金属を溶かせる温度まで上げるための道具です。
鋳掛屋(いかけや)とは、鋳鉄製の鍋や釜などの金属製品を修理する職人で、壊れた部分に溶かした金属を「鋳て掛ける」技術に由来する名称です。起源は平安末期~鎌倉期に鋳物製品を作っていた鋳物師(いものし)にさかのぼり、鋳物の普及とともに修理を専門とする職能として分化しました。
江戸時代では、鋳物はひび割れや穴あきが起こりやすく、鍋釜は高価な生活必需品だったため、修理して使い続ける文化が根強くありました。この需要に応えて、鋳掛屋は白鑞(しろめ)(ピューター、錫(すず)を主成分とする合金)を用いた補修技術を発展させ、天秤棒に道具箱を担いで町や村を巡回する「出職(でしょく)」として活動しました。
明治・大正期にも金属製品は高価で、鋳掛屋は農村を含め広く活躍しましたが、昭和期に入るとアルミ鍋やステンレス製品などの大量生産が進み、買い替えが一般化したことで急速に姿を消しました。
現在も鋳掛の技術は一部で受け継がれており、盛岡の虎山工房(南部鉄器)では鉄瓶修理の職人が「鋳掛屋」を名乗って活動しています。
どのような経緯で寄贈者の方が持っていたのかは分かりませんが、天塩町のように農業・漁業・林業が盛んな地域では金属製品の修理需要が高く、鋳掛屋の道具が残されていたとしても不思議ではありません。余談として、上方落語には鋳掛屋を題材にした「いかけ屋」という演目も残されています。
今後も資料整理を進める中で、地域の歴史や暮らしを物語る品々をご紹介してまいります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
※詳しくは本紙をご覧ください。
