- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道芽室町
- 広報紙名 : すまいる 令和7年5月号
■その118
「美生神社」(芽室町美生三線三十八番地)
「報国神社」(芽室町美生六線二十六番地)
めむろ歴史探訪会 柳澤正弘
「美生神社」
美生原野に明治三十一年、最初の入植があり、その後十戸を数えた。
三十四年秋、美生二線十四番地にささやかな神殿を造営して、伊勢神宮から天照皇大神の分霊を勧請して遷宮祭が行なう。美生神社の始まりである。
三十八年には美生四線五十番地に西美生神社が創立された。
昭和二年、東西美生部落が合併となり、百十五戸の大部落になる。
両神社も合祀して五年、新たに神殿拝殿を現在地に落成、九月遷宮祭がおこなわれる。その後鳥居、社標、高麗犬、石灯篭等の寄進があり神城は整う。
二十五年、公認神社に認証される。修理、境内整備がなされて守護されてきた。平成十二年に大改修が行われた。十四年「新制派神社本庁」から「神社本庁」に被包括関係を変更する。十五年四月、美生神社百年奉祝祭並びに春季例大祭が挙行された。現在の神主は赤澤一で元旦祭、春季祭、秋季祭が執り行われている。
「報国神社」
大正十四年に報国部落が発足する。(その頃、芽室は三十四部の行政区に分かれていて、美生、報国は二十七部に属していた。)
昭和二年、神社の設立が望まれて美生六線二十六番地に美生神社の分社として建設をきめた。美生川付近より桂の大木の埋もれ木を探し出して神殿の材として使用して十一月に完成した。御祭神は天照皇大神。五十三年、開基七十周年事業で本殿、鳥居の改修を行う。平成二年には拝殿を兼ねたサヤ(屋根)を取り付ける。
▽引用・参考文献
「美生神社御鎮座百年沿革史」平成十六年
「報国開拓百年史」平成二十一年