くらし -平内町の原点をたどる- 町制施行70周年を迎えて

■昭和の時代に生まれた町
戦後の復興が進み、人々が新しい時代へと歩み始めた昭和30年。小湊町・東平内村・西平内村がひとつになり、平内町が誕生しました。そして今、昭和という時代が幕を開けて100年。町が歩み始めたあの頃を思いながら、昭和の平内をもう一度見つめます。
「昭和時代の小湊商店街」広報ひらない81号(昭和52年6月)より

◆平内町の誕生、町名の由来
明治の廃藩置県後、現在の平内地区は東平内村・中平内村・西平内村の三地域に分かれていました。中平内村は昭和3年に町制を施行して小湊町となり、以後も地勢や経済の結びつきが強く、三町村の合併は自然な流れとして受け入れられました。
昭和29年10月から始まった合併協議は、同年12月14日、小湊町役場で開かれた第二回合併促進協議会で新町建設計画や財政計画の審議に続き、協定事項がすべて決定。満場の拍手のなかで「平内町」として新たに発足することが確認されました。
このとき話題となったのが新町の名称です。小湊町側は「平内」という名に慎重な姿勢を見せましたが、東平内村、西平内村側は“歴史的にも妥当であり、三平内として親しまれている”として強く支持。最終的に小湊町側が合併実現を第一に譲り、新しい町名は『平内町』に決定。
昭和30年に3町村がひとつとなり「平内町」が誕生しました。
『(平内町史 上巻』をもとに編集)

◆平内町の町章
平内町の町章は、昭和38年3月に制定されました。同年5月20日、夜越山で開催された第14回国土緑化大会および植樹祭に際し、昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)を仰いだ栄誉を記念して行われた奉祝行事の一つとして、町民から広く図案を公募し、72点の応募の中から選ばれました。
図案は、白鳥を組み合わせて椿の花で囲んだもので、白鳥の翼は“たゆみなき建設と飛躍発展”を象徴しています。白鳥と椿という、町を代表する二つの天然記念物を巧みに取り入れたデザインは、平内町を象徴するにふさわしいものとして講評されました。
『(平内町史 上巻』、『広報ひらない81号(昭和38年3月)』をもとに編集)

◆町の花・木・鳥
○町の花は「ツバキの花」、町の鳥は「ハクチョウ」
いずれも昭和38年に制定された町章に白鳥と椿が描かれ、町のたゆみなき建設と発展を希求することに由来します。

○町の木は「マツ」
旧平内代官所跡の老松など、町のいたるところで人々の暮らしとともに親しまれてきました。また、昭和38年には夜越山で開催された全国緑化大会において、昭和天皇・皇后両陛下がお手植えになった松があり、町の誇りとして大切に守られています。これらのことから、町の木はマツと定められました。
これら三つの象徴は、町づくりの原点ともなる情操豊かな心を育み、これからの平内町を支える大きな力となることが期待されています。
『(広報ひらない265号(昭和55年10月)』をもとに編集)

これらの象徴は、時代を超えて平内町の心を映し出してきました。その思いは、町の出来事や人々の暮らしを伝え続けてきた「広報ひらない」にも受け継がれています。
以下では、昭和時代の広報紙をもとに、町の歩みや人々の笑顔をコラージュでご紹介します。誌面に刻まれた昭和の息づかいとともに、広報紙と歩んだ70年の歴史を振り返ります。

■時を紡いで100年 街を育んで70年
昭和30年(1955年)、小湊町・東平内村・西平内村の合併により平内町が誕生しました。同年9月には、町の歩みを伝える広報紙の発行が始まり、以来70年にわたり町の歴史を記録し続け、令和8年2月号で通算800号という節目を迎えます。
昭和から平成、そして令和へ。時代の移り変わりとともに紙面の形は変わってきました。創刊当初はタブロイド判として始まり、その後はB5判の冊子へ。平成に入るとA4判となり、表紙もモノクロからフルカラーへと変化しました。形は変わっても、町の出来事や人々の姿を伝える役割は変わることなく続いており、紙面には祭りや学校行事、町の出来事など、町民一人ひとりの暮らしと歴史が刻まれています。
広報は町の歩みを見つめ続け、暮らしだけでなく、時には大きな節目も伝えてきました。平成15年には青森市との合併に関する住民アンケートが実施され、約66%が反対という結果となり、町独自の道を選んだ住民の意思が、今の平内町を形づくっています。
そして令和7年3月31日、町は町制施行70周年を迎えました。先人が築き上げた伝統や文化、そして豊かな自然を受け継ぎながら、私たちは次の時代へ歩みを進めていきます。
広報はこれからも“町の今”を伝え続け、未来のふるさとを紡ぐ一冊であり続けます。皆さんの暮らしとともに歩む紙面として、令和の時代も引き続き「広報ひらない」をよろしくお願いします。

▽平内町報 第1号(昭和30年9月)
町制施行と同じ年に「平内町報」の名で創刊。新聞風の横長の紙面であり、ここから町の記録が始まりました。

▽広報ひらない 798号(令和7年12月)
時代とともに進化し表紙はフルカラーに。町民の暮らしの“今” を届ける紙面です。