- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県丸森町
- 広報紙名 : 広報まるもり 令和7年6月号
■町内の古碑で最も多い“庚甲碑(こうしんひ)”
徹夜で防ぐ“三尸(さんし)の虫の告げ口”
町内には2,000基を超える石碑が確認されていますが、その中でも最多の200基以上あるのが庚甲碑といわれています。
その昔、十干十二支の組み合わせで60年、60日ごとに巡ってくる庚甲(かのえさる)の日に徹夜で過ごすという禁忌(きんき)として“庚甲”が行われていました。中国の道教の説によると、この日の夜は、人が眠っている間に体内にいる三尸の虫が天に昇って、その人の罪過が天帝(中国における天上の最高神で、天地・宇宙・万物を支配する神)に告げ口されてしまい、その罰を受けて病や、悪いと命を奪われることもあるといわれていました。庚甲は大変恐ろしい神様で、嫉妬深く、その姿は、帝釈天(たいしゃくてん)・青面金剛(しょうめんこうごう)・猿田彦(さるたひこ)などと同一視されたようです。罰を受けないよう、三尸の虫が天に昇るのを防ぐため、人は“講(こう)”をつくり、翌朝まで眠らず身を慎んでいました。徹夜で行われていた“講”も、大正期には夜中に解散するようになり、飲食しながら雑談をする機会になったようです。
庚甲は二世安楽を約束してくれるので、この世とあの世の幸せを願い、庚甲碑に“二世安楽”や“南無阿弥陀仏”と刻んでいる碑が丸森地区に残っています。庚甲の日は男女同衾(どうきん)が忌(い)まれ、男女が別々に集会を持つなど、三尸の虫を防ぐほかにも、作神、泥棒避け、火伏せなど、複雑な信仰形態を持っていました。建立されている石碑の多くは“庚甲”“庚甲供養”などと刻まれ、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が加えられたものや、筆甫地区、大張地区、耕野地区では“庚申”と刻んだ石をお堂の周りなどに並べた“百庚申”と呼ばれるものもあります。筆甫地区には“青面金剛像”に三猿を配したものがあり、丸森地区には約8m×7m×7mの巨石に二世安楽が入った文字と三猿、鶏、講中の氏名を刻んだ江戸中期の巨大な庚申碑があります。
町内の“庚申講”は碑の建立時代から推し量ると、明治の終わり頃まで盛んに行われていたようです。