- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県七ヶ浜町
- 広報紙名 : 広報しちがはま 令和8年1月号
■星 重昭(ほし しげあき)さん
(横浜市、菖蒲田浜出身)
作編曲、指揮、チェロ、ピアノ、都山流尺八
七ヶ浜での思い出はいっぱいあって、遊んでばかりいたんですよ。小学生の頃は、同級生の家に入り浸っていましたね。二人でゲルマニウムラジオ作りに夢中になって、夜遅く帰ってお父ちゃんにおご(怒)らったの。中学生の頃は、前の浜(菖蒲田漁港付近)で、よくべご(牛)の背中に乗って遊んでたの。
僕の曲が皆さんに喜ばれるのは、子どもの頃、七ヶ浜の自然の中で遊んだ経験があったからなんですよね。僕の音楽を培ったのは、ハーモニカかもしれないな。松小3年生の時に、中野先生からハーモニカを教わり、6年生までに2、30本のハーモニカを吹き壊しました。
その後、東北大学教育学部音楽科に進み、大学で出会ったのが、七中の校歌を作曲した福井文彦(ふくいふみひこ)先生でした。平和のしるし紺碧の~♪ 僕は塩釜一中だったけれど、先生のおかげで七中の校歌も歌えるんです。
大学時代は、土日に菖蒲田浜の自宅の縁側でミカン箱に板を敷いて、地元の子どもたちの寺子屋のようなこともしていました。
大学を出た後、財)ヤマハ音楽振興会で講師指導に携わり、中島みゆき、井上陽水等を輩出したポプコンに至るまで、様々な音楽指導を経験して後、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド等、主に北欧で4年間仕事が出来ました。
帰国後は、大人の音楽教室や、地域楽団の創生など、少子高齢化社会での音楽普及に身を置きました。
54歳で退職し第3の人生として、弦楽指導の他、更に守備範囲を拡げて、星の子弦楽団として全国の小学校訪問も始まりました。
◇この町にいっぱい助けてもらったからね
震災の前の年に、妻から「昨夜、夢で、“波寄せ返す〜”って泣いて歌ってた(松小校歌)」と言われて、はたと気づいたんです。一番恩義を感じている松小に、これまで何も恩返しできていなかったんです。このことがきっかけで再び小学校時代の仲間との交友が始まりました。
そうして実現したのが、その年の11月に松小で開かれた、「ようこそ先輩」のような私のピアノリサイタルでした。あまりにも素晴らしいひとときだったので、次は楽団を連れて来ましょうと約束した4カ月後に震災だったんです。
震災の年に楽団とともに町中央公民館を訪問し、以来、コロナ禍を除いてほぼ毎年訪問しています。
この町にはいっぱい助けてもらったからね。横浜をはじめ、いろいろなところで七ヶ浜を支援するためのご寄付を募りながら復興祈念音楽会を開いてきました。気がつけば、88回になります。
私は、ホールなどよりも地区の避難所とか、身近な場所での音楽会が好きなのです。国際村でも演奏会をしましたが、そこに行けない人もいますからね。
80歳になって健康にも恵まれて、今は癒しとして自然な形で身近な人たちに音楽を届けたい。これからは、「手のひらを太陽に」とか、孫もおじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが歌える曲をやりたいね。
寺澤町長から、目に見える復興はできたが、心の復興はまだまだと伺っています。音楽の力で心と心をつなぐことができたらこんなにありがたいことはないですね。
