文化 [特集1]草野心平を知る
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- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県いわき市
- 広報紙名 : 広報いわき 令和7年6月号
■夏の展示紹介
・7/5(土)~9/21(日)
企画展「吉村昭と磐城平城」
・7/11(金)~9/28(日)
小さな企画展「心平の愛した花々 夏の花編」
・7/12(土)~9/21(日)
スポット展示「草野心平 史跡を歩く」
■作品の魅力心平の詩は「●」が一つだけ書かれた「冬眠」や、一行を「る」で埋めた「生殖 I」など、蛙を描いた詩が有名です。心平は、蛙の方が人間より長い間地球に生存し続けていることなどに共感し、蛙の詩を作り続けました。
その他にも、天や富士山、石、海などを主題とした作品もあり、その根底にある「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感によって生み出された作品は、生命力にあふれています。さらに、絵画や記号のような文字使いや、蛙の鳴き声を表現した「ケルルン クック」などの独創的な擬音(オノマトペ)、そして独自の言語「蛙語」は、唯一無二の世界観を作り出しています。
心平は、宮沢賢治らを発掘・紹介するとともに、高村光太郎や萩原朔太郎、中原中也などと親交を深めながら多くの詩人を育てました。それらが渾然一体となって心平の魅力を生み出していると言えるでしょう。
また、市内17の小中学校をはじめ、全国各地で100以上の校歌を作詞し、世代を超え歌い継がれています。
■文学館の魅力
草野心平記念文学館は、周囲を木々に囲まれた山の中腹にあります。大きなガラス窓から光が差し込むアトリウムロビーからは、心平が16歳までを過ごした故郷阿武隈山系の山々と、自身の少年時代を重ね合わせ「ガギガギザラザラ」と表現した二ツ箭山を一望できます。
常設展示室は、黒や茶色を基調とした、まるで蛙が眠る土の中のような雰囲気を味わいながら、心平の生涯と作品に触れることができます。心平が東京で開業した居酒屋「火の車」の復元コーナーでは、店の中に入って個性的な名前のお品書きもご覧いただけます。
また、館内にある文学プラザでは阿武隈山系の雄大な山々を眺めながら、自由に詩作活動に没頭することができるほか、絵本コーナーも常設されており、小さなお子様連れにもおすすめです。7・8月の土曜日は20時まで開館時間を延長し、サマーナイトコンサートなども開催します。
日常を忘れ、心平の独創的な感性に触れてみてはいかがでしょうか。
蛙の詩人として知られる草野心平は、1903(明治36)年、福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)に父馨、母トメヨの二男として生まれ、祖父母のもとで育ちました。
県立磐城中学校(現在の磐城高校)中退後に上京。18歳で中国広東省広州の嶺南大学(現在の中山大学)へ留学し、この時携えていた早世した兄民平のノートに書かれた詩や短歌に触発され、心平は詩を書きはじめます。その旺盛な詩作に、同級生からは「機関銃(マシンガン)」と呼ばれていました。
1925(大正14)年には同人誌「銅鑼(どら)」を創刊。1928(昭和3)年、貧困の中で25歳で刊行した『第百階級』は蛙の詩ばかりからなる独特の詩集です。
終戦後2年余を郷里の上小川村で過ごし、小中学生に校歌代わりに歌われた「小川の歌」を作り、夏井川渓谷の支流を「背戸峨廊」と命名しました。
1950(昭和25)年に第1回読売文学賞(詩歌部門)を受賞し、詩人としての評価や知名度が高まり、1984(昭和59)年にいわき市名誉市民、1987(昭和62)年に文化勲章を受章しました。
1988(昭和63)年、1400篇余の詩を創作した心平は八十五歳の生涯を閉じ、故郷小川町の常慶寺に埋葬されました。自身の歩みを「ジグザグロード」と表現したように、詩作にとどまらない波乱万丈の一生でした。
■草野心平生家 ボランティア募集
活動内容:来館者案内、イベント補助、室内の清掃、庭園管理など
活動場所:草野心平生家(いわき市小川町上小川植ノ内6-1)
活動時間:9時~16時(2人1組の当番制)※11月~3月は9時~15時
対象:草野心平が好きな方、人と関わることが好きな方
問合せ:いわき市立草野心平記念文学館
【電話】83-0005【E-mail】[email protected]