文化 写真が語る「いわき」の歴史 市民総ぐるみでごみを追放

いわき地域学會 小宅幸一

昭和30(1955)年から始まる高度経済成長は、日本の生活全般にわたるシステムを大きく変えました。昭和40年代に入ると、大量生産、大量消費は日常的となり、生活は豊かになりましたが、消費の後の“出口”部分について、十分な対応策がなかったことから、ごみとして街中にあふれる状態となってしまいました。
昭和46(1971)年9月には、早くも東京都が「ごみ戦争」を宣言し、本格的なごみ対策に乗り出すこととなりました。この問題は全国至るところで噴出し、国民共通課題として急速に広がりました。いわき市においても事態は同様で、それまでの一括混合収集・処理のごみ処理を改める必要性に迫られました。
市は、市民や学者などから幅広く意見を聴取し、この結果、“ごみはすべて市が収集すべきだ”とする安易な行政依存を排し、事業者を含めて市民自ら自己処理の原則に立ち返る必要があるとし、市民参加によるきれいなまちづくりを推進しなければならないという基本理念を確立。そのうえで、市・事業者・市民の責任分担を明確化し、具体的に、各戸ごとに燃えるごみと燃えないごみを区別して、市が定めたビニールの規格袋に入れて所定の場所に出すルールを確立しました。これを十分に住民周知し、試行期間を経て、昭和56(1981)年4月から完全実施に踏み切りました。
さらに、昭和57(1982)年度から毎年春と秋、市民の力でごみのないきれいなまちをつくろうと「いわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」がスタート。公園や道路等の公共施設や観光地など、市民と行政が一体となった清掃の総ぐるみ運動が展開され、現在に引き継がれています。