- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県南相馬市
- 広報紙名 : 広報みなみそうま 2026年1月1日号
『相双の和紙』
明けましておめでとうございます。本年も博物館をどうぞよろしくお願い申し上げます。
早速ですが、令和8年最初にお届けする話題は、「和紙」についてです。
昭和12(1937)年の秋、和紙研究家である寿岳文章(じゅがくぶんしょう)と、その妻で文筆家のしづが日本全国の和紙を探して歩く旅に出ました。『紙漉村旅日記(かみすきむらたびにっき)』という本にまとめられた4年にわたる旅の記録は、今でも和紙研究家の間で重宝されています。
そんな寿岳夫妻が原ノ町駅に降り立ったのは昭和13(1938)年4月18日のこと。当時、和紙作りが行われていた信田沢や深野(原町区)を訪ねるためです。
果たして、信田沢で紙をすいている家にたどり着いた寿岳氏は、見せてもらった和紙(障子紙)について、「この辺の土地の荒々しい冬によく耐えるであろう」と評価しています。
明治時代半ば以降、日本全国の和紙産地では作業の効率化のため、一部工程の機械化や、パルプや化学薬品の使用が増え、和紙の品質は大きく低下していました。その中で、冬の強風にさらされても破れにくい丈夫な和紙は、寿岳氏にとって好印象なものだったのでしょう。
ところで、紙すきはどんな人がしていたのでしょうか。
主に携わっていたのは地元の農家です。農家では、農閑期である冬場の副業として紙がすかれていました。
一方で、寿岳夫妻の記録には登場しませんが、相双地域には上川崎(二本松市)や丸森町(宮城県)の紙すき職人が出稼ぎに訪れ、紙をすいていくこともありました。特に上川崎の職人は、昭和30(1955)年ころまで、相馬市から浪江町に至る広い範囲に出向いていたようです。出稼ぎに来た紙すき職人たちは、11月中旬から春の彼岸のあたりまで紙をすいていきました。人によっては、正月も帰らなかったそうです。
さて、博物館では令和8年度の冬、和紙を題材にした展示を計画しています。今まであまり注目されてこなかった「相双の和紙」にどんな物語があるのか、ぜひ楽しみにしていてください。
問合せ:市博物館
【電話】23-6421
