文化 野内与吉さんを名誉村民に推戴

大玉村名誉村民は、大玉村民または本村に縁のある方で公共の福祉の増進または学術・技芸の進展に著しい功績があり、村民が郷土の誇りとして、深く尊敬する方にその称号を贈るものです。
このたび、大玉村出身でペルー共和国マチュピチュ村の初代村長を務められた野内与吉さんを名誉村民として推戴することが、村議会12月定例会での議決を経て決定されました。
名誉村民は平成17年に画家の斎藤良夫さんが、令和5年に元日本看護協会会長の福井トシ子さんが推戴されて以来3人目となります。

■野内与吉さんのあゆみ
明治28年玉井村(現大玉村)で出生。玉井尋常小学校、玉井高等小学校を卒業後、21歳の時に契約移民としてペルーへ渡航。一時アメリカ、ブラジル、ボリビアに渡りましたが、大正12年よりペルーへ戻り、ペルー国鉄クスコ・サンタ・アナ鉄道に勤務し、マチュピチュに移住しました。
44歳のときにマチュピチュ地区の行政最高責任者に就任し、さらに、村の発展のために尽力したことで村民からの信望を集め、53歳のときから2年間マチュピチュ村の初代村長を務めました。マチュピチュ遺跡を自分の庭のように歩き、ホテルを開業したり水力発電所を造ったりしました。
昭和33年に三笠宮殿下がマチュピチュ遺跡を見学した際に、野内与吉さんの長女オルガ・ノウチさんが花束を差し上げたことがニュースになり、日本にいる親族が彼の消息を知ることになりました。そして、73歳のときに半世紀ぶりに大玉村へ帰郷を果たし、それから1年後の昭和44年8月、ペルーのクスコの地で家族に見守られながら74年の生涯を終えました。

■野内与吉さんの功績を称え
野内与吉さんは、観光地として世界的に有名なマチュピチュの発展に大きく貢献したことで、「マチュピチュを創った日本人」として今なお多くの人に敬愛されています。また、野内与吉さんの功績がきっかけで、平成27年10月に大玉村とマチュピチュ村が世界で初めて友好都市協定を締結するに至り、このことは村民の大きな誇りとなっています。
さらに、友好都市協定を締結してから現在まで10年間にわたり、両村の相互訪問や文化交流など様々な形で「人・もの・情報」の交流が続けられており、本村のみならず、日本・ペルー両国間における国際交流の進展に大きく寄与されました。これら公共の福祉の増進に寄与した多大なる功績を称え、名誉村民として顕彰します。