文化 町の昔話コーナー

■泉長者の話 その2
前回、戦乱続く平安時代。紀の国生まれのある男が、夢にでたカラスに導かれるまま、磐城の国の泉村にたどり着いて、お酒が湧きだす泉を発見。
そのお酒を売ることで財を成し、泉長者と呼ばれるようになったところまで紹介しました。
さ~て話の続きは…
石神の信田沢(しだざわ)には泉長者の別邸があって、一人息子をそこに住まわせて、近くの岩松院(がんしょういん)に学問のために通わせていたんだと。
ところがある日、この息子が途中の沼に落ちてしまったと。
知らせをうけておっか様が駆け付けたが、間に合わなかったと。
なんぼか急いで、はねて来たんだが、おっか様は沼に腰巻を落としてしまったと。
それでそこを「腰巻沢(こしまきさわ)」って呼ぶようになったんだと。

さて、息子を亡くした泉長者だったが、贅(ぜい)の限りを尽くした生活を送っていたと。
ある時、源義経の一行が平泉に行く途中に、ここさ立ち寄ったんだと。
義経は泉長者が金持ちだというのを知って「これから平泉まで参る。かたじけないが軍用金を用立ててくれまいか。」と頼んだと。
ところが長者は、「戦のために用立てる銭はありません。」と一銭も出さなかったと。
ごしゃいだ義経は弁慶に命じて、長者の屋敷に火を放ったと。
あっという間に屋敷は炎に包まれて、一晩のうちにすべてが灰になってしまったと。
泉長者は一文無しになって北の方に逃れ、相馬中村の小泉にたどり着いたと。
しかし、そこにも長く居られなくて今泉さ移ってきたと。
今泉に来た時には、守り本尊の薬師如来像と、金の鶯だけを大事に持ってきたんだと。
そして死ぬまで今泉で暮らしたんだと。
今でも石神の信田沢の屋敷跡を掘ると、瓦や焼けた米が出てくるんだと。
泉長者が持ってきたお薬師様は、今泉の東光寺※に今でも祀られているんだと。

※東光寺 現在はありません。
薬師如来像は今泉地区の塩釜神社敷地内に建つ薬師堂に安置されています。

新地語ってみっ会では、語り部による民話コーナーや紙芝居など毎月第3土曜日13時30分から二羽渡神社南、おがわ観海堂(小野俊雄宅離れ)にて参加費無料で、公開しています。興味のある方はぜひご参加ください。

問い合わせ:新地語ってみっ会
【電話】62-2441