文化 街なか案内板整備事業 しもつま歴史探訪

~雲充寺~
多賀谷氏の始祖家政が開祖となって、発祥地の武蔵国騎西庄多賀谷郷(埼玉県加須市内田ケ谷)に創建、多賀谷氏が下妻に進出した際、ここに移して再興したといわれています。
古くから旧10月6日から15日までの十昼夜にわたって法要が営まれ、本山から迎えた上人の説教を行い、近郷近在から多くの信者が集まりました。十夜餅も頒けられ、戦前までは、行屋で年寄りたちが十夜念仏を唱えていたこともあり、「おじゅうやえ」と呼ばれています。
また、西南戦争で戦病死した永田氏の墓碑の隣に西南役慰霊碑が立っています。政府軍、薩軍を問わず、すべて犠牲者の冥福を祈ったもので、明治16年(1883)建立されました。永代回向料を寄付した141人の連名と村世話人6人の名が刻されています。
昭和20年7月米軍の艦砲射撃に遭い、日立製作所多賀工場で殉職した挺身隊の供養碑もあります。

場所:下妻戊237‒2
※詳しくはの詳細は本紙またはPDF版をご覧ください。

次回は「小野子観音堂」を紹介します。