文化 小美玉市の歴史を知ろう 77

■小川の香取(かとり)大宮司家(だいぐうじけ)文書(もんじょ)
下総国(しもうさのくに)一宮(いちのみや)の香取神宮は、伊勢・鹿島とともに『延喜式(えんぎしき)』三神宮と数えられ、藤原氏の氏神として大きく発展しました。神宮の長官であった大宮司職には文書群が引き継がれましたが、多くは長い年月の間に散逸しています。その原本の一部が、平成11年に小川町(当時)で確認されました。

◇小川の香取大宮司家文書の内容
小川の香取大宮司家文書は鎌倉時代後期から江戸時代にかけての、香取神宮とその周辺との関わりを示す文書や、徳川光圀に関する文書などで構成されます。その一部を次に紹介します。
『関白(かんぱく)二条(にじょう)兼基家(かねもとけ)御教書案(みぎょうしょあん)』は正安(しょうあん)3年(1301年)頃に、香取社の神主(大宮司)任命の際に発給したとされる文書です。任命にあたって、関白の二条兼基から左馬頭(さまのかみ)(北条(ほうじょう)貞時(さだとき))を介して伝えられました。この文書は「仍執達如件(よって執達件の如し)」という書き止め文言を持ち「以上の通りにご意向を伝達します」という内容を表しています。これは、主人の意を受けて侍臣(じしん)(家来)が出す「奉書(ほうしょ)」といい、特に位階が三位(さんみ)以上の高位の人物の奉書を「御教書」といいます。
『東山天皇(ひがしやまてんのう)口宣案(くぜんあん)』は、貞享(じょうきょう)5年(1688年)に当時の大宮司職である大中臣清房(おおなかとみのきよふさ)が従五位下(じゅごいげ)に叙された際の発給文書で、東山天皇の意を蔵人頭(くろうどのとう)藤原頼重(ふじわらのよりしげ)が伝達しています。また、この文書に使用されている紙は黒いですが、これは一度文字を書いた、墨の付いた古紙を再び漉(す)き直したことによるものです。

◇小川に残った香取大宮司家文書
元禄11年(1698年)、大中臣清房は幕府から大宮司職の罷免・神宮追放の処分をうけて水戸藩領内に移住しました(のち明治10年(1877年)に名誉回復)。その時持参したのが大宮司家文書でした。享保9年(1724年)、清房は幕府からの目録にしたがって、新しい大宮司職の家に文書を引き渡しました。この時、目録外の文書は手元に残したといい、それが現在小川に残る香取大宮司家文書です。いつ頃から、そしてなぜ小川に香取大宮司家文書が所在するのか、現時点では定かではありません。一例として文化10年(1813年)に小川村で小宮山昌秀(こみやままさひで)(楓軒(ふうけん))が香取大宮司家文書を書写しており、少なくともこれ以前には小川に所在していたものとみられます。
これまでほとんど公開されてこなかった小川の香取大宮司家文書ですが、この度、小川の地では初めての公開となります。この機会にぜひご覧ください。

(小川資料館 和久法子)

●語句解説
延喜式:律令の施行規則である式の集大成。延喜5年(905年)に編さんに着手し、延長5年(927年)に完成した。
左馬頭:官職名で、馬の管理・調教を司る左馬寮の長官を指す。
蔵人頭:蔵人所(天皇直属の役所)の実質的な長官を指し、天皇の秘書官長などを務めた。

■小川資料館テーマ展
光圀と楓軒がよんだ古文書
―小川の香取大宮司家文書―
会期:11月22日(土)から12月27日(土)まで
場所:小川資料館(小川図書館2階)
休館日:月曜日(11月24日は開館)、11月25日(火)、28日(金)、12月26日(金)
※12月14日(日)14時から生涯学習センターコスモス集会室で、飛田英世氏(茨城県立歴史館)による記念講演会を開催します。

問合せ:小川図書館・資料館
【電話】0299-58-5828