- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県那須塩原市
- 広報紙名 : 広報なすしおばら 令和7年3月20日号(ナンバー432)
The Hardships of Pioneers in the Development of Nasunogahara
私たちが暮らす地域には、かつて「那須野が原」と呼ばれる広大な原野が広がっていました。
過酷な環境の中、原野を開墾して農地を広げた人びと、そして、那須疏水を開削して命の水を那須野が原にもたらした先人の歴史を紹介します。
■開拓のはじまり
那須野が原には、共同の草刈り場として使われていた広大な原野がありました。
明治時代になると、国は失業した武士や困窮者の救済や職業支援、また、新たな産業の振興のため、北海道をはじめ、日本各地で開拓政策を進めました。
那須野が原では、明治13年から20年を中心に、国から原野を借りる団体や個人が現れ、多くの農場ができ、那須野が原の開拓が始まりました。
■人びとのくらし
開拓が始まると、農場は原野の開墾や農場の仕事に従事する働き手として、移住人を募集しました。仕事や土地を求めて、県内外から多くの人が移住してきました。今も市内には、その時移住してきた人の子孫が多く住んでいます。
那須野が原にあった広大な原野は、石や砂利を多く含んだ砂礫層(されきそう)で、水が地下深くにしみ込んでしまうため、地上に川が流れず、飲み水や食事用の水などの日々の生活用水を得るのも大変な重労働でした。家から数キロメートル離れた川や沼、井戸などに行って水桶(みずおけ)に水を汲み、重い水桶を担いで帰らなければなりませんでした。
那須野が原に水を引くことは、そこに暮らす人びとの切実な願いでした。
■那須野が原に水を
明治15年、農場関係者の尽力により、那須野が原に飲み水を引く飲用水路が開通し、その後、明治18年には灌漑(かんがい)用大水路である那須疏水(そすい)の開削が始まりました。
明治18年4月15日に烏ヶ森で起工式が執り行われ、その5か月後の9月15日には、那珂川から水を取り入れる取水口のある西岩崎から千本松までの約16キロメートルの本幹水路が完成しました。ショベルカーもダンプカーもない時代、驚異的なスピードで行われた工事でした。本幹水路の完成後、本幹水路から南へ流れる4本の分水路が開削されました。
那須疏水の開削では、国や県への請願(せいがん)などに奔走(ほんそう)した那須開墾社の印南丈作(いんなみじょうさく)と矢板武(やいたたけし)の功績が大きく、その業績は現在も語り継がれており、那須疏水は今も那須野が原を潤し続けています。
▽なすの開墾まつり
那須疏水の起工式が行われた4月15日を記念して「なすの開墾まつり」を開催します。
開催日:4月7日(月)から15日(火)
会場:烏ヶ森(野外ステージ、丘上、公園)および市内各地
主催:なすの開墾まつり実行委員会メインイベント
開催日:4月12日(土)雨天順延
会場:烏ヶ森公園
内容:式典、開拓鍋
※同時開催の「花まつり」では、太鼓、歌、ダンス、キッチンカー、軽トラ市などの催しがあります。
問い合わせ:なすの開墾まつり実行委員会
【メール】[email protected]
▽那須野が原博物館
移住人の家の実物大模型や、開墾の様子や那須疏水の開削工事の様子を再現したジオラマ、那須疏水取水口の1/2模型などがあり、開拓の歴史を楽しく学べます。
問い合わせ:【電話】0287-36-0949
▽創作劇「那須野の大地」
市民劇団「劇団なすの」が毎年上演している創作劇。那須野が原を拓(ひら)いた人びとの姿と、家族愛を描いた作品です。
問い合わせ:[西]生涯学習課
【電話】0287-37-5419