- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県下野市
- 広報紙名 : 広報しもつけ 令和7年5月号
しもつけ風土記(ふどき)の丘(おか)資料館
「東の飛鳥」下野市では、「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産登録を目指す奈良県明日香村を応援しています。今回は、「世界遺産」について記します。
◆世界遺産とは
日本ユネスコ協会連盟のホームページには「世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれ、そして私たちが未来の世代に引き継いでいくべきかけがえのない宝物です。」と、記されています。
1960年代、エジプト アスワンハイダムの建設により、ナイル川下流にあった遺跡を水没の危機から救うために、遺跡群を移築保存しました。このときに「人類共通の遺産」という考え方が広がり、1972年に「世界遺産条約」の採択へとつながっていきました。
このように、世界遺産の目的は本来、失われていく遺跡を保護するための制度です。最近では、令和6年に佐渡(さど)の金山(きんざん)が文化遺産に登録されました。佐渡島(さどがしま)の場合は平成18年度(市民団体活動は平成9年から)に登録に向けた活動が始まり、登録まで20年以上の時間を要しました。
◆百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群
ここでは、日本で一番有名な古墳が所在する百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(大阪府堺(さかい)市・羽曳野(はびきの)市・藤井寺(ふじいでら)市)について触れます。
令和元年に世界文化遺産に登録された古墳群の中でも、最大の大仙(だいせん)(山)古墳・伝仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)(堺市)は特に有名です。墓の規模としては、エジプトのピラミッドよりも面積が大きく、世界最大の墓としても知られています。この古墳が造られたのは5世紀前半~中頃(西暦400年代中頃前後)で、百舌鳥・古市古墳群を構成するおよそ50基の古墳もほぼ同時期に築造されたと想定されています。
世界で一番大きく、古代日本を代表するこの墳墓群をUNESCO(ユネスコ)世界遺産に登録する計画が、2006年に堺市が政令指定都市になったことを契機に持ち上がりました。2008年には世界遺産の国内暫定リストに追加され、それから10年の歳月が経過する中で、ユネスコの諮問機関ICOMOS(イコモス)の現地調査を経て、令和元年に世界遺産への登録に適していると判断されました。同年7月に開催されたユネスコ第43回世界遺産委員会において、文化遺産への登録が正式に決定されました。
◆さまざまな世界遺産
世界遺産には文化遺産・自然遺産・複合遺産などの区分があり、この時、文化遺産には24件、自然遺産には4件、複合遺産に1件の計29件が登録されました。文化遺産に登録されるのは古代の遺跡が多いのですが、そればかりではなく、この第43回委員会では、イギリスのジョドレルバンク天文台(20世紀半ばの光学天文学(望遠鏡を使った宇宙の観察)から電波天文学(パラボラアンテナ式の電波による観察)への移行段階を示す施設)や、フランク・ロイド・ライトによる、アメリカの20世紀建築作品群なども登録されました。
◇「フランク・ロイド・ライトは栃木県産の大谷石を多く使い、帝国ホテルを設計しました。現在、正面玄関部分は名古屋明治村博物館に移築保存されています。」
◆奈良県明日香村を世界文化遺産に
世界文化遺産登録決定までには、長い年月と多くの方々によるご尽力が必要となります。1,350年前から下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)が結んでくれた飛鳥地方とのご縁により、下野市は世界文化遺産登録を目指す奈良県明日香村を応援しています。