くらし 広報連絡委員レポートNO.475

名誉町民、石塚和一先生
野木地区 広報連絡委員 松本 圭司
野木町には、今までに二名の名誉町民の方がおられます。その内の一人、石塚和一先生の事を紹介させていただきます。
明治28年2月、大字野木の開業医「順養堂医院」の子として産まれました。野木尋常小学校を経て古河高等小学校、栃木県立栃木中学校、その後、宇都宮の師範学校に入学、「尋常科正教員」の免許状を得て那須郡金田村の第五小学校の教員となりました。住まいの大田原から約6キロメートル、徒歩にての通勤でした。
ここでの在任期間は1年と1学期で、母の住む、故郷野木に戻り、大正3年9月、野木尋常小学校へと転任されました。大正12年8月からは野木尋常高等小学校第一分教場となり、昭和13年4月から分教場主任となりました。分教場とは言っても、1年生から6年生まで児童数五百数十名もいました。
その後、昭和19年4月から下都賀郡姿村(現在下野市)の「姿村南国民学校」の校長となりました。昭和22年4月、新たに創立された下都賀郡生井村立「生井中学校」の初代校長に、翌年野木小学校も分教場ではなく、独立校となり、その初代校長として迎えられ、そして昭和25年3月、55歳で退職しました。
教員としての校外活動についても数多くなされ昭和45年には、我が国の教育、学術、文化の向上のために尽力され、多大のご功績をあげられた事に対して、勲五等に叙せられ瑞宝章を授与されました。紙面の都合で書き尽くせないところが多々ありますが、野木村の教化活動に貢献したことが認められ、昭和52年、第一号の名誉町民として推挙されました。そして、昭和53年8月、行年83歳にて、その人生に幕を閉じられました。