- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県行田市
- 広報紙名 : 市報ぎょうだ 令和8年1月号No.955
■資料がかたる行田の歴史82
▽古代の南河原
現在、旧南河原村域には26の遺跡が埋蔵文化財包蔵地として登録されており、これまでに5回の発掘調査が行われています。その成果を基に、今回は発掘調査で分かった古代の南河原を紹介します。
古代の南河原は、縄文時代晩期(3000〜2400年前)から始まります。縄文時代晩期の土器が少量のみ発見されているだけで、確実に人々が暮らし始めたとは言いきれませんが、おそらく南河原の地で活動していたであろうと推測できます。
次は時代が下って、古墳時代前期(1700〜1600年前)において、人々の活動の痕跡が残されています。ただ縄文時代と同じく、住居跡などの痕跡は確認できていませんが、当該期の土師器が出土しています。その中には東海地方で生み出された土器があり、南河原の外から人々が、最先端の農業技術とともにその土器を携えて、肥沃な低地へと進出してきたと思われます。
そして、古墳時代中期(1600〜1500年前)の終わり頃、突如として、とやま古墳が出現します。とやま古墳は墳丘長69メートルの前方後円墳で、埼玉古墳群の稲荷山古墳と相前後する時期に築造され、市内で最も古く造られた古墳のひとつです。当時南河原周辺では、これほどまでに大きい古墳を築造できる首長が統治しており、首長を支えるムラがどこかにあった可能性が高いと考えられます。
その後、平安時代(1200〜800年前)になると、条里制に伴う水田が作られました。ほ場整備前には、水田区画の痕跡が馬見塚を中心に、南河原字前から犬塚字南・米九斗まで広範囲にわたって確認できました。条里水田周辺に住んでいた人々は、お米を作り租税として納めていました。
南河原における先人の足跡は、今はまだ断片的な資料でしか語ることができませんが、地中深くに眠っている遺跡から新たな発見があれば、古代の南河原をより鮮明に物語ってくれることになるでしょう。
(郷土博物館 篠田泰輔)
