文化 行田歴史系譜383

■資料がかたる行田の歴史83
▽摂津国(せっつのくに)の忍藩領〜2万石の飛地(とびち)との縁(えにし)〜
江戸時代の忍藩は現在の大阪府と兵庫県にまたがる摂津国にも所領を持っていました。忍藩主阿部家が摂津分領を統治し始めてから、今年で340年を迎えることから、今回は飛地の忍藩領について紹介します。
貞享3(1686)年正月21日、当時の忍藩主阿部正武(まさたけ)は1万石の加増を受けます。正武は上方筋に所領を持っていなかったので、摂津国川辺郡(かわべぐん)に所領を与えられたようです。領知高が10万石に到達した元禄7(1694)年には、摂津国の豊島(てしま)・島下(しましも)・武庫(むこ)各郡にさらに1万石加増され、摂津国の忍藩領は合計2万石、85カ村となりました。
2万石の摂津分領の統治は、新田中野(しんでんなかの)陣屋(現在の兵庫県伊丹市)を拠点に行われました。領内は新田組、昆陽(こや)組、芝(しば)組の3組に分けられ、各組を取りまとめる大庄屋(おおじょうや)たちが触書の伝達、年貢収納などを担うことで、民政全般にわたり忍藩の陣屋役人と各村の藩領民をつなぐ大切な役割を果たしていたことが現地の研究者の調査によって判明しています。
こうした摂津分領の統治が100年目に差し掛かった天明5(1785)年正月21日、大坂城代を務めていた忍藩主阿部正敏(まさとし)は、摂津分領の拝領100年を記念した祝賀を家中で催しています。同時に、正敏はかつて祖父正喬(まさたか)が新田中野村に建立した稲荷社を再建します。阿部正識(まさつね)(正敏の嫡男で後に忍藩主)がその由来を揮毫(きごう)した扁額(へんがく)は残念ながら平成7(1995)年の阪神・淡路大震災で失われてしまいましたが、摂津国と忍藩の歴史的な結びつきは今もなお現地で語り継がれています。
(郷土博物館 澤村怜薫)