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■新市指定文化財 本因坊第十世烈元の書状と生家伝来の碁盤
幸手市には、江戸時代、囲碁の本因坊(ほんいんぼう)第八世伯元(はくげん)、第九世察元(さつげん)、第十世烈元(れつげん)と、三代続けて輩出した囲碁文化と深くかかわる歴史があります。
令和7年3月、幸手市教育委員会は、本因坊第十世の生家である上吉羽の澤村家に伝来した烈元の書状と江戸時代の碁盤(ごばん)を市指定文化財として新たに指定しました。
烈元の書状は、同家の襖(ふすま)の下張り文書群から発見されました。本因坊として江戸に暮らす烈元が、生家である澤村家に送った書状ですが、烈元と幸手の人たちとの交流の様子を読み取ることができます。
また、碁盤は、元文4年(1739)の墨書銘(ぼくしょめい)があり、江戸時代に作成されたものです。大きさは、縦44・3cm、横40・4cm厚12・0cm、総高24・8cmで、材質はイチョウとみられます。
この大きさについて調査した結果、江戸時代の本因坊たちゆかりの碁盤と比較しても同程度の規格が認められている立派なものです。
烈元は、寛延3年(1750)に生まれ、文化5年(1808)に亡くなりました。「棋道(きどう)中興の祖」と称えられた本因坊第九世察元の亡き後、その成果を受け継ぎ、本因坊家の格式を上げる大功があったとされています。
烈元は、幼いころ察元に弟子入りし、察元が碁所(ごどころ)に就いた明和7年(1770)閏(うるう)6月27日、碁格6段のとき抜擢され、21歳で察元の跡目になりました。
天明8年(1788)正月26日、察元が56歳で亡くなります。その後、烈元は、同4月8日に家督相続が許され、本因坊第十世となったのです。
これらの文化財は、本因坊第十世烈元と幸手との歴史的な関係を表す貴重な歴史資料なのです。

問合せ:郷土資料館
【電話】47-2521