スポーツ 消防士からプロ総合格闘家へ 栁川唯人 頂へ ― 世界一への挑戦 ―(1)

プロ総合格闘家として活躍する栁川唯人選手。現在は格闘技一本ですが、以前は、坂戸・鶴ヶ島消防組合職員と格闘家という二足のわらじ生活を送っていました。今月は、そんな栁川選手のスペシャルインタビューをお届けします。

―どんな学生時代を過ごされましたか
小学生のときは、外で活発に遊んでいたと思います。中学生くらいからあまり外で遊ばなくなって、のんびりした時間を過ごすことが多くなっていきました。高校生のころは、ひたすら部活(柔道)でした。部活の仲間と、学校の横を流れている川に落とし合いをしたり(笑)。そんなことをしたりしていましたが、意外とおとなしい感じだったかもしれません。
今もそうなのですが、人混みが苦手で、自然の中にいることが好きなので、キャンプ用の椅子を1脚広げて、本とスピーカーとコーヒーを用意して、座ってのんびりしたりしていました。ゆったりしている時間が好きですね。

―消防士を志したきっかけはうちは
ひとり親で父に育ててもらったのですが、小学3年生のころから父の大変さを見てきました。そのため、父を支えながら人の役に立てる仕事をしたいと思い、決めました。消防もいろいろな市町村がありますが、やはり生まれ育ったこの地に貢献したいと思い、坂戸・鶴ヶ島消防組合に入職しました。

―格闘技を始めたきっかけは
高校2年生の冬の県大会で、優勝すれば日本武道館での全国大会でした。ずっと日本武道館で試合がしたかったんです。高1と高2の2回しかチャンスがない中で、高2の冬、負けてしまったときに、もう柔道はいいかなと踏ん切りがつきました。ちょうどそのころ総合格闘技のことが気になっていて、柔道を辞めたあたりからは、ずっと格闘技ばかり観るようになっていました。自分を表現できるというのが伝わってきて、やろうと決めました。
19歳のとき専門学校に通っていたのですが、1年間ひたすら遊んでいて(笑)。「これではいけない」「自分は一体何がしたいんだろう」と考えたときに、「総合格闘技で世界一になりたい」と思ったんです。その気持ちは、消防士になってからも変わることはありませんでした。

―二足のわらじ生活はどうでしたか
「人を助ける仕事」と、言い方は悪いですが「人を壊す競技」、対極にあるものなので、「自分はどちらが向いているのだろう」と、頭の中が混乱してしまったりしました。また、仕事が休みの日に格闘技の練習をするので、休みがなくて疲労が抜けませんでした。それで仕事で迷惑をかけてしまうこともあり、メンタル面での大変さを強く感じていました。

※アメリカ合衆国の総合格闘技団体Ultimate(アルティメット)Fighting(ファイティング)Championship(チャンピオンシップ)の略