くらし 建築家 山崎 健太郎-2

◆誰もが心地よく共に過ごせる空間を、建築で探求したい
▽-佐倉の記憶
僕は、佐倉市の江原新田の出身で、住んでいた場所は高台にありました。印旛沼や近くに広がる水田は低い位置にあり、周囲を高い土地で囲まれている―そういう場所を自転車でよく走っていました。景色が美しいのはもちろん、周りを囲まれているからこそ、安心できる場所だと感じていた記憶が強く残っています。やはり「囲まれている空間」というものは、すごく安心する形だと改めて思いますね。
あと、新町にある道は鍵型に折れ曲がっていたりしますが、あの形はこどもながらに「不思議だな」と感じていましたね。普通、車が通ることを優先しようと思うと、あの形はすごく不合理だと思うから。でも、そういう昔ながらの道が残っていることが面白いとも感じていたことは覚えています。僕の中には、その二つの記憶が特に強く残っています。
僕にとっての佐倉は、やはり特別な場所です。故郷ですからね。僕自身、プロフィールにも必ず佐倉市出身であることを入れているので、佐倉市から佐倉PR大使就任のお話をいただいたときは、「佐倉の知名度アップのために、自分にできることがあるのなら…」という思いで、お引き受けしました。

▽-これからの人生で追い求めたいもの
僕たちが最初にやるべきことは、クライアントの言うことはもちろん、土地の声もよく聞くということ。その声に気づけずに設計をしてしまうことは良くないことです。でも、形を決める以上、全ての要望を叶えることは難しいし、また、機能性や合理性のみを重視した建物をつくっても、過ごしていて退屈なものになってしまうとも思うんですよ。
正解はわからないけど、僕自身は、空間の在り方に対して、そこに関わる人びとが話し合い、互いに合意し、少しずつ合わせていくようにする感覚が必要だと思っています。最初は思うようにいかなくても、時間を経て上手く活用されていくようになる―建築は、そのビジョンを形にできるものだと僕は信じています。
「新富士のホスピス」(3ページ写真下)では、患者さんのご家族が気持ちを整理できる空間をつくろうと、従来の病棟に多い中廊下型ではなく、回廊を取り入れることに挑戦しました。最初は「さまざまな思いを持った別々のご家庭の家族を同じ空間に居させるのは残酷なことではないか」と懸念する声もありました。でも、今では施設のかたも「ここを『誰もが気持ちの整理ができる空間』として運用できている」と言ってくれています。
これからは、大きさや場所を問わず、さまざまな人がその場所で共に生きていけるような、共同体のための建築を追い求めていきたいと思っています。残りの人生もだんだん短くなっていくわけですが、限られた時間の中で取り組んでみたいことは、そうした建築なのだと感じています。

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