文化 歴史のしずく

■縄文土器
文化センター1階の玄関ホールには、缶バッジのガチャ「しろいガチャ」があります。文化センターを構成する図書館・文化会館・プラネタリウム館・郷土資料館の4館を象徴する缶バッジが各2枚デザインされ、うち1枚は、なし坊が土器を持っています。この土器は市内で実際に出土した縄文土器がモデルです。
考古学では時代の判定を土器で行うことが多いです。形や成形の仕方、器面の文様など、土器の作り方は時代によって変化するので、発掘調査で出土した土器の破片から時代を知ることができます。各時代では一定の地域で同じ土器の作り方をするので、その特徴を「型式」や「様式」と呼び、その時代の土器がまとまって出土した、代表的な遺跡名を式名にしています。例えば、加曾利B式は千葉市の加曾利貝塚B地点で出土したことから命名されたものです。
縄文時代は今から約1万3千年前から2400年前の長期にわたるため、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に分けます。各期にはさまざまな土器型式があり、1型式は約100年で、1型式を細かく分けると1世代=25~30年毎の変化を追うことができます。
平塚地区にある向台2.遺跡では縄文時代晩期後半、今から約2600年前の縄文土器がまとまって出土しました。
千網式と呼ばれる土器型式の、最初の頃の土器ですが、まだ千網式に共通する要素は少ないです。東北地方の影響を受けたその土器群は、口縁部に特徴的な突起を持ち、地紋は無文か撚糸文が施されます。こうした土器は少量出土することは有っても、向台2.遺跡のようにまとまって出土することは珍しく、縄文時代の土器型式の変遷を考える上で重要な土器群として研究者から注目される、白井市を代表する縄文土器です。
なし坊の持つ縄文土器はその一つです。完全な形の土器は出土していないため、破片から復元しています。

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