くらし ひとこと(213)

■いすみ市政を担って20年
いすみ市長 太田洋

平成13年岬町長時代の当初予算編成時、国の経済状況が変化し、世の中不景気の風が吹き荒れ、国、県、市町村の財政状況は厳しくなっていました。旧岬町においても地方交付税は減額され、財政運営が厳しくなり、事業の縮小を余儀なくされました。国は平成の合併を唱え、年々、地方交付税は減らされ、弱小団体は合併の道を歩まざるを得なくなりました。
当時の夷隅郡市は、勝浦市を含めて1市5町での合併の話もありましたが、勝浦市、大多喜町、御宿町が離脱しました。では、何故3町が合併したのかというと、旧夷隅町は、国保国吉病院があり、当時の町長が病院の再整備のためには2町よりも3町の方が良いと言い、大原町を加えた合併を選んでいました。また、旧大原町は財政破綻の状態で、合併を選ばざるを得なくなっており、岬町長であった私は、県からの要請をうけて、旧大原町を助けるため3町合併の道を選びました。
今、思い返せば、3町の合併は奇跡のようです。その後、強い決意で臨んだ合併後初の選挙でいすみ市長となった私は、まず、市民の融和が必要と考え、連日、住民と語る会を開き話し合いを行いました。今では3町の壁も無くなり、いすみ市として一体感がでてきたと感じます。合併時はお金がなく毎日が厳しい状況であり、箱物は作らないとの考えで、市民福祉と子育て、農業、水産業、商工業の振興と人口減対策に力を入れました。また、農業振興の一つとして有機農業の育成にも力を入れ、全国で初めての学校給食に全量無農薬のお米を提供し、全国ニュースにもなりました。この間、9年連続で、首都圏の自治体において、住みたい田舎第1位になりました。更に、教育の基礎となる学校や各地域の庁舎などを整備しました。
市政の基本は、旧3町の歴史や文化を守ること、また、時代にふさわしい施策を取り入れることに努めました。旧大原町は漁業、商工業のまち、旧夷隅町は歴史あるまち、米どころ、病院のあるまち、旧岬町は農業、漁業、サラリーマンのまちとして、違う歴史と文化をもつ3地域が個性を失うことなく、お互いが尊重しあって、いすみ市民の心を醸成し、これを大切にしてきました。
これまでを振りかえると、辛い時、苦しい時、悲しい時がたくさんありましたが、いつも市民の笑顔に励まされました。また、職員の皆さんも全力で私の施策を進めてくれました。その成果は、この度民間で発表された住み続けたい街ランキング2025千葉県版で県内5位になったことです。千葉県東南部の田舎の市が人口増の市を抑えて堂々5位となったことで、20年の努力が実ったと思うと嬉しくなりました。
20周年を迎え、たくさんの花を咲かせました。これも、全ての市民、職員の皆さんのおかげです。20年間ありがとうございました。共に夢に向かって努力した20年、感謝の気持ちで一杯です。