文化 ちょうなん歴史夜話

■長南開拓記(74)~「長南町」の古代村~
今回は、発掘調査で奈良時代の集落跡として確定している、長南町の遺跡についてお話します。
まず、芝原の根畑遺跡ですが、ここは高台であり、現在は介護施設が建っています。この遺跡では、一七〇〇平方メートルの調査範囲から奈良時代の竪穴住居跡が五軒見つかっています。前回話した中原遺跡(茂原市猿袋)は、一五〇〇平方メートルから奈良時代住居が七軒ですので、大きな差はありません。しかし、その前の古墳時代後期の住居は、中原十六軒に対して根畑が八軒です。古墳時代後期には多量の土器を集積した遺構も見つかっていますが、それでも古墳時代後期~奈良時代の遺構密度は低かったと言えます。それなりの広さを持った高台上にあり、眼下の低地は弥生時代から開拓が進んでいたと思われる好立地にありながら、近くにある能満寺裏遺跡のように、人が集中して住むことがなかったのはなぜでしょうか。
続いて、坂本の川島遺跡ですが、この遺跡も高台にありますが、根畑と異なり、丘陵先端の狭い平坦面にあります。平坦面は緩い斜面を挟んで上下二面になっており、平成七年に下段の調査が行われました。なお、上段は坂本神社の境内となっています。四八三平方メートルの調査範囲からは四軒の竪穴住居跡が見つかっており、時代は古墳後期後半一軒、奈良時代一軒、平安前期一軒で、残り一軒は詳細不明ながら、奈良時代以降と推定されています。また、神社の背後に計画されていた道路建設事業に伴い、平成二十六年に行われた発掘調査においても、古墳後期後半一軒と奈良時代前半一軒の、計二軒の竪穴住居跡が見つかっています。つまり、神社を挟んで上下に古墳後期と奈良時代の住居が点在していたことになります。ただし、二十六年調査の住居の検出地点は、丘陵の頂上付近の緩斜面であり、発掘調査報告書でも指摘されていますが、住居設営に適した環境とはいえません。そのため、報告者はかつて尾根筋に通っていた古道に着目し、「隣接地域を結ぶ道の起点に設置された、何らかの役割を持った建物の可能性」を指摘しています。

川島遺跡の平成7年発掘調査。このときの結果だけなら、”水田耕作を生業とする小規模集落の発見”でよかったが、平成26年の調査結果により、この集落の性格については、より検討が求められることになった。
※写真は本紙をご覧ください

(町資料館 風間俊人)