文化 【特集】エンターテインメントは時代を超えて(1)

令和7年。もし昭和が続いていたら昭和100年、という節目の年です。
区は、古くから日本のエンターテインメントの中心地であり続けてきました。
現在も、劇場や映画館などの劇場施設が数多く存在し、全国からたくさんの人々が訪れています。
こうした施設は、まちの歴史とともに歩み、人々の夢を紡いできました。
本特集では昭和から令和まで、時代を超えて愛される区内の劇場をご紹介。
日比谷図書文化館の特別展では区所蔵の劇場関連資料を通じて、昭和という時代と文化に迫ります。

■THEATER01 東京宝塚劇場
美しい夢を見ているかのようなひとときを

旧・東京宝塚劇場は1934(昭和9)年に誕生。創設者・小林一三氏は阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝、阪急百貨店の創業者で、日本のエンターテインメント文化の発展に尽力し、日比谷のまちづくりに大きな役割を果たした。「一部少数の特権階級の娯楽ではなく、いい芝居を、大衆化し、安い料金で、家族とともに楽しんでもらいたい」という理念のもと、旧・東京宝塚劇場は東京での宝塚歌劇の拠点として設立された。太平洋戦争での閉鎖や連合軍による接収など、大きな苦難を乗り越えてきた。2001(平成13)年に、現在の建物に建て替え後、新たな歴史を刻み続けている。
光り輝くシャンデリアや赤いじゅうたんなど、劇場に入った瞬間から「日常を忘れ、夢の世界へ誘われる」空間を演出。座席数は2079席と、兵庫県の本拠地・宝塚大劇場に比べてコンパクトながら、限られた敷地に宝塚大劇場のエッセンスが感じられる空間だ。さらに、スタッフの温かいホスピタリティが観客に特別な体験を届け、宝塚歌劇ならではの世界観を支えている。
世界でも数少ない、出演者が女性だけの劇団・宝塚歌劇団。花・月・雪・星・宙の5組と専科で構成され、各組70名~80名のタカラジェンヌが在籍している。公演のほとんどは、物語の世界観を堪能できるお芝居と、きらびやかなショーの2本立て。1回の観劇で異なる体験ができるのも魅力。一列になって踊るラインダンスやフィナーレの大階段での群舞、出演者全員によるパレード、男役と娘役がペアになって踊るデュエットダンスは、宝塚歌劇でしか出会えないステージの魅力だ。また、豪華な舞台装置や衣装も見どころの1つである。衣装は帽子や羽飾りまで、専属スタッフが手づくりして完成させる。照明に映える色や舞台での立ち位置なども計算して、衣装にちりばめられたスパンコールや繊細な飾りはまさに芸術品だ。
『ベルサイユのばら』『エリザベート』は再演を重ね、時代を超えて愛される不朽の名作だ。近年は、アニメ『シティーハンター』、映画『オーシャンズ11』などの人気作品や劇団☆新感線とのコラボなど、幅広いジャンルに挑戦。観客層も女性中心から男性にも広がりつつあり、仕事終わりの男性や家族連れなどもみられ、公演によっては男性の観客が2割弱を占める。また、ライブ配信や映画館でのライブビューイングも定着し、劇場に来られない人に作品を届ける取り組みも進めている。女性が演じるから生み出される、華やかでファンタジックな世界。豪華絢爛なステージとタカラジェンヌの輝きは老若男女問わず、これからも観客を魅了し続ける。
宝塚歌劇という言葉を一度は聞いたことがある方が多いのではないか。一度観劇することで、唯一無二の夢と感動の世界がきっと心に残るはずだ。東京宝塚劇場は日比谷の歴史あるランドマークとして、さらに時代を超えて愛され続けるだろう。

■THEATER02 日生劇場
村野藤吾の曲線美が息づく劇場

日本生命創立70周年の記念事業として、1963(昭和38)年に誕生した日生劇場。その設立には、当時の社長の「将来の文化の発展に寄与したい」という願いが込められていた。特に、日生劇場は子どもたちへ文化に触れる機会を提供し続けている。設立当初から続く「ニッセイ名作シリーズ」では小学生を無償招待。ミュージカルや人形劇など多彩なジャンルの作品を、日生劇場だけでなく、全国各地で上演している。「日生劇場オペラ教室」では中高生に向けて、オペラを低廉な価格で提供。一般向けに8000円〜1万2000円で販売する公演を10分の1程度に。設立当初から続く「子どもたちに本格的な舞台芸術を届けたい」という思いは今後も継承され、子どもたちの豊かな情操や多様な価値観の育成に寄与していくのだろう。
設計を手がけたのは、日本建築界の巨匠・村野藤吾。客席内の壁や天井は全て曲面で構成され、幻想的である。壁には青や赤、ピンク、白、金のガラスタイルが鮮やかにちりばめられており、当時の職人が一枚一枚手作業で張り付けたという。天井には2万枚のアコヤガイが張り付けられ、真珠の輝きを再現している。設計時、この曲面の壁や天井でどのように音の跳ね返りをコントロールするかが問題になった。村野氏は劇場の10分の1の模型で光の反射を音の跳ね返りに見立てて検証を重ね、どの座席でも同じように音が聞こえる空間を完成させた。オーストリアの名指揮者カール・ベーム氏が「日生劇場の音響に満足した」と称賛し、小澤征爾氏が電報で村野氏に知らせたという逸話も残る。
客席の中でも、特に人気なのが1階席と2階席の間にある「グランドサークル席」。昭和天皇皇后両陛下と西ドイツ大統領夫妻が並んで観劇した席で、役者と目線が合うような感覚を味わうことができる。2列のみで、1階席に比べスペースにも少し余裕がある造り。価格も1階席と同じで、知る人ぞ知る“お得な名席”である。
村野氏の美学は客席内にとどまらない。客席に昇る階段やその手すりもこだわり抜いた。階段の裏面は布一枚でつながっているかのような丁寧な仕上げ。手すりは女性が握りやすい細さで、「礼儀的に紳士が貴婦人にちょっと手を差し伸ばす」感じをイメージしてデザインしたものである。ピロティの天井には幾何学模様に孔のあいた石膏ボードを採用。カウンターやもぎり台、ごみ箱までも村野氏が手がけているというのも驚きである。また、ロビーにはシャガールや上野リチなど数々の絵画や彫刻が並んでおり、劇場全体が1つの芸術作品として存在している。公演と合わせて劇場の鑑賞を楽しむ観客もいるようだ。劇場全体で非日常を感じ、ゆったりとした時間を過ごすことができる。村野氏の傑作ともされる日生劇場はさらなる時代を超え、守られていくだろう。

■THEATER03 日比谷シアタークリエ
近いからこそ味わえる舞台の真髄と熱気

地下に広がる劇場、「日比谷シアタークリエ」。2007(平成19)年に開館し、演劇の新しい発信源として、日本のエンターテインメントを支えている。前身は、1956(昭和31)年に誕生した「芸術座」。2005(平成17)年の閉館まで数々の名優たちがその舞台を彩り、1961(昭和36)年に上演された『放浪記』は当時無名に近かった森光子氏の名を一躍高めた。かつて半世紀近く愛された劇場の歴史を受け継ぎながら、演劇の新しい発信源として、時代とともに進化し続けている。
ストレートプレイやミュージカル、朗読劇、音楽劇、コンサートなど、多彩な作品を上演し、観客の年齢層は幅広い。近年話題の『ジャージー・ボーイズ』は、男性客も多く訪れた異例のミュージカル。2005(平成17)年にブロードウェイで開幕し、2014(平成26)年には映画化された名作が2016(平成28)年に日比谷シアタークリエに上陸し、新たな歴史を紡いだ。
シアタークリエは「シアタークリエーション」を略した造語。常に新たな作品を創造する場であり、想像をめぐらせる場であるという意味が込められている。「創造」と「想像」を掛け合わせたダブルミーニング。座席数は最大で618席。舞台から最後列までわずか25m。この舞台と客席の距離の近さが最大の魅力だ。オペラグラスがなくとも味わえる臨場感や舞台と客席の一体感は圧巻である。オペラグラスを使って、役者の細やかな表情や動きを楽しむのも一興だ。客席内の設計にも工夫が凝らされている。11列目までの前方席は千鳥配置とし、12列目以降は前方席よりも段差に高さを設けることで、どの席でも見やすくなっている。万が一見づらい場合にはクッションの貸し出しもあり、サービスも行き届いている。
劇場に入ってすぐに、ギリシャ文字が刻まれた大理石の壁が目に留まる。約20個の古代ギリシャ劇の名言が刻まれ、演劇の原点を静かに語りかける。階段で絵画作品『喜怒哀楽』を見ながら、地下の劇場へ向かう。エレベーターではなく、あえて階段を使ってみるのもいいだろう。地下のホワイエにはピアノやギター、ハープなどをモチーフにデザインした『楽器』と呼ばれる作品のじゅうたんが敷かれ、劇場らしい華やぎを演出。内装にも、細部にまでこだわりが感じられるのも魅力の1つだ。
アクセスのしやすさと利便性も魅力。日比谷シャンテ地下2階より地下鉄と直結しており、雨の日も濡れることなく入場できるため安心だ。
年間約15作品を上演し、他の劇場と比べ公演数が多いのも特徴。開館から18年、時代に合わせた新しい作品を届け続けている。演劇の魅力を未来へつなぎ、世代を超えて愛される劇場を目指す日比谷シアタークリエの挑戦は続いていくだろう。