- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都台東区
- 広報紙名 : 広報たいとう 令和7年12月5日号
■その十三 蔦重ゆかりの人物(11) 葛飾北斎(かつしかほくさい)
葛飾北斎は江戸後期の浮世絵師です。19歳のときに絵師の勝川春章(かつかわしゅんしょう)の弟子になり、翌年勝川春朗(かつかわしゅんろう)の名でデビューしました。役者絵を中心に黄表紙(きびょうし)などの挿絵を手がけ、寛政4年(1792)頃から、山東京伝(さんとうきょうでん)や曲亭馬琴(きょくていばきん)の著作の挿絵を蔦重のもとで担当するようになります。とくに馬琴とのタッグは人気を博し、読本(よみほん)『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』をはじめ多くの人気作品の挿絵を手がけました。蔦重の死後、二代目蔦屋重三郎の代で画を担当した狂歌絵本『東遊(あずまあそび)』では、絵草紙店の店先として「通油町紅絵問屋(とおりあぶらちょうべにえどんや) 蔦屋重三郎」の看板や耕書堂の暖簾(のれん)を描いています。
宗理(そうり)、戴斗(たいと)、画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)など多くの画号を持った北斎は、嘉永2年(1849)に亡くなりました。墓は元浅草の誓教寺(せいきょうじ)にあります。
■「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい) 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」
葛飾北斎画 天保初年から天保2年(1830-31)頃
本作は富士山をテーマとした大判錦絵の揃物(そろいもの)のうちの一枚で、北斎の代表作です。「グレートウェーブ」の通称で世界的にも親しまれ、千円紙幣の図柄にも採用されています。遠景に描かれた富士山と、大きな波のうねりに翻弄(ほんろう)されている船や人間達の、静と動の対比が見事に表現されています。
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