- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都杉並区
- 広報紙名 : 広報すぎなみ 令和7年12月15日号 No.2418号



■プロフィール
野田一郎(のだ・いちろう)
昭和34年杉並区生まれ。代々続く農家に生まれ、東京農業大学で学び、ニュージーランドでの農業研修などを経て25歳で実家の野田園芸に就農。日本におけるクリスマスローズ生産の先駆者である父と共に、栽培・品種改良をはじめ、普及にも尽力してきた。現在、クリスマスローズをメインに、花卉類・オリーブ・ブルーベリーなどの栽培も手がける。平成23年度から井草園芸研究会会長。令和7年度から日本クリスマスローズ協会理事。杉並区農業委員も務める。
■雪国暮らしで緑の安心感に気づき、家業である農業の道へ
─野田さんの家は杉並の地で代々続く農家とお聞きしています。
今は野田園芸として農業をしていますが、祖父の代までは野菜を作っていました。すぐそばの青梅街道沿い、今はスーパーになっている場所が昔は野菜の市場だったので、作った野菜をリヤカーに乗せてそこへ持っていき売っていたようです。
─野菜から花卉(かき)の栽培へと転換したのはいつだったのですか?
昭和30年ごろ、父の代です。菊の切り花から始めて、その後は花木類も栽培するようになり、30年ほど前から現在のメイン作物であるクリスマスローズの生産に取り組み始めました。当時からクリスマスローズ自体は日本にもありましたが、品種が限られていて色は地味なピンク一色のみ。花は下を向いて咲くし、お世辞にも華やかとは言えない花だったので、ほとんど知られていませんでした。一方、クリスマスローズの本場であるイギリスでは品種改良が進んでいて、鮮やかな色や八重咲きの品種など種類が豊富。父と他の園芸農家さん3人がクリスマスローズ協会を立ち上げ、イギリスの品種を参考に、日本でも本格的に栽培を開始しました。
─野田さんご自身は子どもの頃から家業を継ごうと決めていたのですか?
子どもの頃は「自分も農業をやるぞ」という気持ちは特にありませんでした。心境が変わったのは高校生のときかな。山形県の高校に進学し寮生活を送っていて、冬は雪がすごく積もるところなので緑がほとんどなく、白一色の世界。そのような地域に住んでいたので、杉並に帰省する道中でだんだんと緑が見えてくると、なんだか嬉しいしホッとするなと感じて、それなら緑に携わる仕事をしてみようかなという気持ちになったんです。
大学は東京農業大学へ進み、卒業後は関西の植木・盆栽卸売会社、ニュージーランドでの農業研修を経て、地元へ戻り就農しました。それから40年ほど経ち今に至ります。就農後は父と二人三脚で、クリスマスローズの栽培と品種改良、販売や認知度の向上に取り組んできました。
■日本のクリスマスローズ生産のパイオニア農家として
─クリスマスローズの品種改良は、どのように行われるのですか?
もともと日本で流通している品種はとても少なかったので、しばらくは毎年のようにヨーロッパへ出張し、いろいろなクリスマスローズを買い付けてきました。そこから、例えば大きい花を作りたい、こんな色の花にしたい、できるだけ上を向くように咲かせたい、一つ一つの花は小さくてもたくさん花が咲く株にしたい…など、どんなクリスマスローズを目指すのか考えながら、品種の違う花を交配させていきます。交配した花の種が熟したら丁寧に採種し、それを育てて花を咲かせたところで交配の結果、つまり思い描いたような花が咲くかどうかが分かります。
─クリスマスローズの栽培で難しいのはどのようなところでしょうか?
昨今で言えば、やはり気候の問題は大きいです。とにかく暑さが苦手、寒さが必要なクリスマスローズは温暖化する気候に対応した育て方が求められます。そこで実施しているのが、高冷地に株を移動させて寒さに当てるという作業。杉並に置いておくと暑さで枯れてしまう品種は、一度高冷地へ持っていきます。私たちが活用しているのは、山梨県忍野村の標高1000m弱の高冷地。毎年10月中旬ごろになると忍野村の最低気温を毎日確認するのが日課になり、いつ杉並に持って帰ってこようかとタイミングを見計らっています。一度寒さに当てたクリスマスローズは、開花が早まり1・2月にはさまざまな品種が満開を迎えます。
─野田園芸さんが品種改良を手掛けた中で特徴的な品種はどんな花ですか?
いろいろな品種を作りましたが、バリエーションを豊富に増やしてきたゴールド系と呼ばれる鮮やかな黄色の花を咲かせる系統のクリスマスローズは、私たちが手がける花の特徴の一つと言えるかもしれません。
