- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都杉並区
- 広報紙名 : 広報すぎなみ 令和7年6月15日号 No.2406号
■プロフィール
吉田力雄(よしだ・りきお) 昭和29年千葉県生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業後、昭和53年にアニメーション制作会社、東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)に入社。制作としてテレビシリーズ「新・巨人の星」「ルパン三世 カリオストロの城」など数々の作品を担当。海外共同製作事業やライセンス事業を担当する傍ら、劇場版作品の製作委員会に参加するなどさまざまな形でアニメに携わる。同社退職後、令和3年4月より東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム館長を務める。
■大学で映像制作を学び、アニメーションの世界へ
─映像の世界に進まれたのはどんな理由からだったのですか?
千葉県生まれで、実家は建築業。高校卒業後は建築関係に就こうと考えていたけれど、大学へ進学することにしました。では何を学ぼうかと考えた際、CMに興味があったことから、映像・メディア関係の勉強をしようと日本大学芸術学部放送学科へ。大学の卒論のタイトルは「見えない世界」。映像をつくり出すことで初めて見えてくる世界があるということを説きましたが、今考えればアニメーションの表現のことを書いていたようにも思います。
─就職先にアニメーション制作会社を選んだのはなぜですか?
当初は広告代理店を目指しましたが、業界につてがない中ではなかなか難しくて。それならば作品づくりからこの世界に入ってみようと、映像制作の会社も視野に入れて探す中、見つけたのが杉並区成田東にあった、アニメーション制作会社「東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)」でした。当時自宅から近い所にあり、ノーネクタイでよいのも気に入って、昭和53年4月に新卒で入社。アニメ界では「未来少年コナン」がスタートした年です。当時の東京ムービーは住宅だった建物を社屋に使っていて、制作室には床の間がありましたね。愛車の屋根にサーフボードを積んで、アロハシャツにビーチサンダルといういでたちで出社していたのは、懐かしい思い出です。
■ アニメーション制作に情熱を注いだ会社員時代
─東京ムービーで吉田さんが担当したのはどんな仕事ですか?
僕は制作担当で、初めて担当したのはテレビシリーズ「新・巨人の星」。制作の役割は基本的に、原画・動画・セル画・背景などの素材を各スタジオから集めてそろえ、それらを撮影し、現像・編集・初号と完成させること。当時はまだフィルムでしたから、こうした流れで制作していました。会社の規模が今ほど大きくなかったので、多くの作品を抱える中でとにかくスケジュールに間に合わせるために、総務・経理・常務までもがセル画に色を塗ったりしました。全社一丸となって作品に取り組んだ思い出です。
─多くの作品を手掛けた中で、特に印象深い作品は何ですか?
宮﨑駿監督「ルパン三世 カリオストロの城」は、アニメの制作人生を振り返る中で、やはり忘れがたい作品の一つです。作品の面白さに入り込んで創っているという意識が非常に強く、スケジュールが迫る中ほとんど会社に泊まり込んでいたように思います。昭和54年の公開から45年以上経てもまったく色あせない。評価も変わらない。アニメは歳をとらないと言いますがそういう作品はやっぱりすごいなと思います。同作については、その後のリマスター作業にも携わりました。現在テレビなどで放映されている映像では、公開当初には見えなかった細かい部分まで全部クリアに見えるので、ぜひ注目してみてください。
─アニメ事業に関わるさまざまな取り組みにも尽力されていますね。
作品の著作権・権利処理などを管理するライセンス事業や、デジタル化が進む中でフィルム時代の作品の保管・利活用を視野に入れたアーカイブプロジェクトなどにも携わりました。海外共同製作も経験しましたし、テレビシリーズだけでなく劇場版の「ルパン三世」「それいけ!アンパンマン」「名探偵コナン」「ルパン三世VS名探偵コナン」製作委員会へ参加するなど、アニメ全般の業務に関わりました。